「先生」と呼ばれうる者

医師が他の医療機関の医師に紹介状のような手紙を出す際、相手の名前に「御侍史」または「御机下」と書く奇妙な風習があることをご存知ですか?  私の場合も以前、出身大学の事務局から「堀田茂様御机下」とメールが来たことがあるのですが、その時は、正直なところ無性に背筋が寒くなりました……。

出身研究室の同窓会の打合せのような比較的ざっくばらんなメールでも、各々が「先生」と書き合うのもなんだかな……と違和感を抱くのが毎度です。 一般社会でも、ほんのちょっとでも目上に思った人や、無理にでも敬意を示さなければならない人を「先生」と呼ぶことがありますが、 この言葉の使用について、自分なりにちょっと考えてみました。

あらためて、私が本当に「先生」と呼べるのは誰なのかと考えると、学校の教師、診療を受ける医師、仕事でお世話になっている弁護士がまず思い浮かびますし、 本当に尊敬に値すると思った人は、それを口に出すかは別として、「我が先生」と心の中で思うことは当然にあります。 逆に、ある一定の身分の人の中に「先生」と呼ばれないと機嫌が悪くなる人がいる、というような新聞の投稿を以前見たような記憶があるのですが、 そのような人はしょせんそのレベルの人なので、それこそ「先生」と呼ばれうる範疇外の人種であるわけで、そんな人との関係は可能な限り持ちたくないものです。

以前、「先生」と呼ばれることには、尊敬やへつらいの意味とは別に、「あなたはそのような立場の人間なのです。襟を正して引き続き研鑽ください」 と見られていて、気概維持の戒めにもつながるというような意見も頂戴したことがあるのですが、その時は一瞬ハッとしました。まさしくです。 少なくとも自分自身、「先生」と呼ばれたならば、そのような厳しい視線を向けられているということを自覚せねばと思うのです。

一方で、海外では、研究や臨床から離れた獣医師免許保持者でも、「Dr.」と呼ばれることが煩わしい者は「Mr.」と呼ばせる例もしばしばあるという話も聞きました。 私自身も研究や臨床を生業(なりわい)としていないため、実は獣医師という資格保持を能動的に公にすべきかと思ったこともあるのです。 けれども、サラブレッドを生物学的観点からコメントを発している立場なのに、もしそれを隠していてあとからその資格を持っていたことに気づかれたら、 なぜ隠していたのかということにもなり、これも厄介だなと思ったのです。

中国での「先生」の使い方もまた違うようですし、社会がグローバル化した現在では特に何が正解というのはないでしょう。 拙著を購入してくださる方々からのメールでも「堀田先生」と書いてくださるのは有難いことなのですが、 実際に生業(なりわい)として研究にも臨床にも従事していないこともあり、単にその資格を持っているだけでそのように呼ばれることに落ち着かない気持ちになってしまうのです。

そんな自分の気持ちには、厳しい戒めからの逃げの想いもあることは重々承知しています。 ただ、これは私の個人的な感覚かもしれませんが、「先生」と呼ぶ相手には、自分とは対等に議論ができないような敷居の高さ、 お互いの位置の高低差を意味もなく感じてしまうことはないでしょうか?  私は自称「B級科学者」と呼んでいるのも、分け隔てなく皆さんと情報交換をしたいからであって、お互いに「さん」とかで呼び合って、 もっと気軽に対等に会話がしたいのです。偉そうなことを言っているように聞こえるかもしれませんが、まさしくこれが私の本音なのです。

よって、逆に私も、今後は風習に流されずに本当に「先生」と思う人に対してだけ「先生」と呼ぶことを心がけます。 それで嫌われてしまったら、その相手はしょせんそれだけの人物だったということです。

こちら に書いた名も知らぬX氏は、最初私を「堀田先生」と呼んでいたにもかかわらず、お互いの考えが合わなくなると、 舌の根も乾かぬうちに品のない言葉を私に浴びせてきたわけですから、 「先生」という言葉は世の中ではそのようなレベルで乱用されているということを痛感した好例でしたし、 皆さんとは気軽に対等に会話がしたいと言ったように、X氏のような輩とはそれこそ対等に「双方が実名で」がまずは大前提とも思ったものでした (こちら も参照)。

ところで、三省堂書店の神保町本店は、建て替えのために5月8日(日)をもって一時閉店となるとのことです。 この建物の思い出として、エスカレーター横には現在、サイン会等で来訪した著名作家の写真が並んでいるのですが、それを見て「あれ?」と思ったのです。

こちら の画像をご覧ください(許可をもらい撮影しました)。 芥川賞作家の平野啓一郎氏に付されている敬称は「さん」、直木賞作家の渡辺淳一氏(※)の敬称は「先生」なのです。 この他のお顔が並んでいた作家諸氏においても、「さん」もあれば「先生」もあり、何が分岐点なのか?? と思ってしまったのです。 ふと、本人が「先生」と呼ばれることを拒否した作家は「さん」なのかな? なんて思ったのですが、もしそうだとしたなら、 将来私の顔が並ぶとしたら絶対に「さん」にしてくださいとお願いします。まあ、ありえない話ですが(笑)。

(※)渡辺淳一氏の話は こちら も参照。

以前、動物病院を開業している大学の同期に出したメールの冒頭に「〇〇大先生」とちゃかして書いたら、彼からの私への返事には「小先生の〇〇より」とありました!  私は形式ばらないこんな人間関係がやはり好きです。

(2022年4月24日記)

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