余談

昨日書いた「バイアスのかかった遺伝子プール(その2) 」で言及した論文に関連して、 どうしても書き留めておきたいことがあり、連投となります。

この論文を引用するかたちで、サートゥルナーリアの種牡馬初年度の交配におけるサンデーサイレンスのインクロス状況に関した(昨日の)コラムを練っていました。 先週のことです。すると、或る方(以下「X氏」)から、「この論文を読むには、Fst とか Ne とか保全遺伝学にかかる用語を知っておく必要がある」 というコメントを頂戴したのです。 これに対して私は、「そこまで深くは読み込めず、とりあえず競馬サークルに対して重要な論点を説明すべきが肝要と考える」と回答ました。

そしたら、さらにX氏からは、「別に競馬サークルに対して Ne の遺伝距離などは説明する必要性はないと思うが、 それをすっ飛ばして重要な論点も何もあったものではない。 自分の主義主張にあった論文こそ丁寧にかつ疑いながら読むというのが科学者、研究者として誠実な態度だと思うのですが」 というコメントが返ってきました。だとしたら、なんですか、そのようにこの論文を抜け目なく読み込んで、 その内容に疑問点や不明点があったならばその箇所も抽出整理したうえでなければ、昨日のような内容のコラムをアップすべきではないとでも言うのでしょうか?

X氏が言っている重要な論点とは、どのような科学的手法やメカニズムによって、そのような結論が導かれたのかということだと思います。 こちら にも書いたとおり、私は自らを「B級科学者」と呼んでいますが、 正直に申せばそんな身として Fst とか Ne とかいう科学用語は存じませんでした。そんなレベルながらも、 「私はこの論文の導入部分に書かれているこの仮説や、結論の記述部分にあるこのあたりの言及が非常に大切に思います。 自由にダウンロードもできますので、皆さんも読んでみて、重要だと思う部分や要確認だと思う部分を確かめてみたらいかがでしょうか?」 というような、あくまで論文を紹介する趣旨であればなんら問題ないはずです。

これを問題ありと言うのであれば、この論文を引用した記事を掲載したJAIRS(ジャパン・スタッドブック・インターナショナル)や『BLOODHORSE』 に対しても言えることです。われわれが日々気軽に行うツイッターの「リツイート」も同様です。 もしも私の昨日のコラムを、この論文の主題分野に精通している科学者が見て、この部分はもう少し考察する必要がある、 というような新たな有意義な指摘もあるかもしれません。 また、このような科学者が、新たになんらかの啓発活動を競馬サークルで実施してくれるきっかけにもなるかもしれないのです。

X氏からは最後に品のない言葉も頂戴してしまったのですが、これは考え方の相違、つまり別途その意義を論じている「多様性」のひとつとして受け止めたいと思います。

以前、「中州に孤立するB級科学者」と題したコラムを書こうとしたことがあります。 科学など完全に無視した血統(配合)理論が散見される一方で、今般受けたようなガチガチの科学寄りの意見もあること、つまりその橋渡しの難しさを書きたかったのですが、 このあたりの話は、「『伝える』ということを考える(その1) (その2)」や 「説得力」にも書いてはきました。

上述のようなことから思ったのは、A級科学者はA級科学者相手の内輪で高尚で緻密な議論ばかりに興じているので、そのせいで、 競馬サークル内においての近親交配のリスク周知のような基本的な啓発が後手後手に回っていないか?……ということです。 今般のような論文は確かにあれど、問題はそこから先です。 生産地を歩いてみても、現地の研修会や講習会で「遺伝」に関するようなものは聞いたことがないというような話も耳にしました。 つまり、科学者たちが自ら体を動かして啓発活動にどこまで動き回れるのかによって、今後の生産界の状況が左右されるものと思っているのです。

コロナ対策の最前線に立った岡田晴恵先生の『秘闘 私の「コロナ戦争」全記録』(新潮社)を先日読み終えたのですが、その中に以下の一節がありました。

「厚労省の医系技官であれば、“腐っても医者”ではあるので、感染症対策の話もおおよそは通じる。 だが、文系のまったく分野の異なる人間に、医療分野の病気・感染症の危機意識の共有の必要性を、サイエンスをかみ砕きながら説明し、理解してもらうのは難しい。 それにはかなりのテクニック、労力、忍耐力、コミュニケーション力が問われる」

中州に独り立ちながら、右岸にいる者と左岸にいる者の橋渡しに試行錯誤している者として、ずしんと来る言葉です。

(2022年4月5日記)

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