説得力

前回、今回は「メンデルの法則」の例外の続編を書く旨を予告しましたが、書きたいネタがひとつ発生したので、 すみません、ちょっと変更させて下さい!

いま、NHKの朝ドラ『おかえりモネ』にハマっており、こちら でもこのドラマの話を引用させて頂きましたが、 今週も月曜から毎朝楽しく観てきました。その中で、ヒロインのモネ(清原果耶さん)の同僚である気象キャスターの莉子(今田美桜さん)が、 視聴率低下は自分の「説得力」の不足にあると思い悩むのですが(こちらが関連記事)、僭越ながら不肖私もこれについては他人事ではなく、 何をどのように書けば・描けば・表現すれば、伝えたいことをすんなりと相手方に伝えられるのだろうか?……と自問自答の繰り返しです。 「メンデルの法則のような遺伝の大原則を理解せずに血統(配合)を論ずるのは憲法の条文を読まずに憲法を論ずるようなものだ」 と普段から偉そうなことを言ってはいるものの、しかしそれを啓発する立場でもある自分は、これをうまく伝えてきただろうかと考えると怪しくなってきます。

こちらこちらでは、 的確に情報の授受を行うには相応のコミュニケーションのスキルが要求され、 科学者が科学的情報を発信する場合、彼らは「とにかく正しいことを伝える」という発想に陥りがちということ、 しかし「信頼」と「共感」がなければ上手く伝わらないことを書きました。 一方で、その情報をもらう側に確かな受け皿を持った姿勢がなければどうしようもないことも確かであり、 今週の『おかえりモネ』では、思わず頷いてしまったシーンがもうひとつあったのです。

モネのもうひとりの同僚で、防災に取り組む気象予報士の野坂碧(森田望智さん)が新規事業審査会のプレゼンに臨む前に、 「防災をビジネスにするのは難しい。起きていないことにお金を使わせるのは相当説得力がいる……」と弱音を吐いたシーンです。 これについても全く同感であり、我が競馬サークルを眺めてみても、こちら でも書いたとおり、 生産者も馬主も競馬関連の各組織も「目に見えるもの」 にばかり目が行きがちです。 私が繰り返し警鐘を鳴らしている遺伝的多様性低下の問題にしても、現時点でそれを「視認」できるものは何もなく、 具体的な災いが発生していない段階における「予防」という行為に対する反応の鈍さに溜息が出ます……。

ちなみに、この野坂碧のプレゼン資料のタイトルは「河川の氾濫を防ぐための植樹プロジェクト」でしたが、 こちら で引用した一昨年の千葉の台風被害と植樹との関連性に関する記事とは相通ずるものがあります。

確かに目に見えないものはつかみどころがなく、その本質を理解するのは難しい。と言うか、その前に、理解しようとする気持ちになること自体が難儀かもしれない。 こちら でも触れましたが、『パラサイト・イヴ』の著者でミトコンドリアの研究者の瀬名秀明氏が述べていた 「『私は文系なのでわかりません』 も何百回と聞いてきた言葉だ。これほど文系を貶(おとし)める言葉はないのに、なぜ多くの人が免罪符のように、 はにかんだ笑みさえ浮かべて、この言葉を口にするのだろう」……とあるように、 情報の受け手がそのコミュニケーションのテーブルになかなか着いてくれない限りは全く前には進みません。

とは言え、その情報の送り手の側も、自らが「説得力」を持つべく不断の努力が求められるのは言わずもがなです。 こちら にも書いたとおり、真実はつまらないのかもしれない。 しかし、そんなつまらないものでも、それを知らしめるべく啓発の意義があるのなら、あらゆる手段を模索しながらそれを伝えていく努力を惜しんではなりません。 議論のテーブルに着いて頂くためにも、情報の受け手の皆さまをテーブルまでエスコートし、椅子を引いて差し上げなければならないこともあるかもしれませんが、 送り手に確かな「説得力」が身についたならば、そんなエスコートなしに誰もが自らテーブルに着いてくれるはずです。そう信じています。

今日の放送分で、気象キャスターの大先輩たる朝岡覚(西島秀俊さん)が、新たにキャスターに抜擢した内田衛(清水尋也さん)に言った以下の言葉に、 自分の身も引き締まります。

「人は、自分の好きな人や、なんとなく信用できそうな人の話しか聞かないってことです。だから、信用される人になって下さい」

ややもすると敬遠されがちな小難しい科学的情報に関するコミュニケーションの橋渡し役が私のような「B級科学者」の使命であり、 あらためて自らの尻にステッキを入れながら、次回は約束どおり「メンデルの法則の例外(その2)」を書きたいと思っております。

(2021年9月10日記)

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