全ては「基本」の上に成り立っている
今日は先週のNHKの朝ドラ『おかえりモネ』の話から。
清原果耶さん演ずるヒロインのモネは気象予報士を目指すも、気象どころかごくごく基本的な理科の知識もなく、
それを見かねた同じ職場にいる坂口健太郎さん扮する若き医師が中学校の理科の参考書をモネに差し出したのですが、「飽和水蒸気量」などの説明を親身にモネに行う場面
(こちら)
に見入ってしまい、「基本」を熱心に説く姿に深く頷いてしまったのです。
「最新の高校の教科書はすごい!」に書いたとおり、私は既存の生物学や統計学以上の血統理論はないと思っており、
息子たちの高校の教科書を見返すと、まさしくそこには「基本」が凝縮されていること、また、
私を含めて高校を卒業した者の殆どはそれを忘れてしまっていることに気づきます。
そして、その内容を確実に理解すれば、例えばサラブレッドの血統の世界を考えれば、
配合に関する科学的側面の知識の大半は得たことになるのではないかと思っているのです。
いま、或るところからサンデーサイレンスのインクロス馬急増のリスクに関する寄稿依頼を受けており、初稿をとりあえず書き上げたところなのですが、
この話、つまりこれだけ日本の生産界にサンデーの遺伝子が蔓延していることについて、まじめに(いや、ごく普通に)生物の教科書を読んでいる高校生ならば、
自ずとリスクを感じるはずです。それなのに、競馬サークルの空気といったら……。
また、こちら でも触れた「Xファクター」にしても、世界的に著名な「ド・サージュ理論」にしても、
まさしく疑似科学であると拙著『サラブレッドの血筋』で一刀両断にしてしまいましたが、それ以前に、
このような理論を提唱した者や信じ込んだ者がそんな高校生に突っ込まれたらどのように答えるのだろうか? と常々思ってしまうわけです。
あらためて思うのですが、原理原則を踏みはずしては何もならないということです。
そして「原則」を理解すれば、そこの上には具体的な「例外」があることも分かってきます。
しかしサークル内に溢れる血統に関する言説を見ると、原則を飛び越えた例外ばかりが闊歩していないでしょうか?
どの角度から見ても科学的信憑性が見出せないフィクション同然の理論を追求するようなエンタメが競馬という産業を支えているのも事実ですが、
競馬を生活の糧としている生産者こそ、そこのところをきちんと科学的に見極める必要があるということです。
こちら でも書いたとおり、もしも中小の生産者が、遊興的に創出された科学的根拠のない理論を深慮なく信じてしまった場合に、
「あ〜ぁ、またか……」で済ませられないという現実があるということを忘れてはなりません。
前回、私の考えが「メンデルの法則に基づき父と母から半分ずつの遺伝子をもらうという基本を無視した主観まみれの臆見」
と言われてしまったことを書きましたが、そんな言葉を私に投げた方は、ものごとには一切の例外がないと信じ込んでいる四角四面なマインド保持者なのかもしれません。
メンデルの法則という遺伝の大原則を理解したならば、その例外として、
例えば こちら で書いたノーベル医学生理学賞を受賞した本庶佑氏の
「遺伝学的には、女性のほうが強い影響力を持つと言えるであろう」というミトコンドリアDNAの母性遺伝に基づく言葉の重さを理解できますし、
さらには こちら で書いたマターナルRNAや
こちら でも触れたゲノムインプリンティングという現象も理解できてくるわけです。
『おかえりモネ』で坂口健太郎さん扮する若き医師のように、
相手の立場を斟酌して「基本」に立ち返って真摯に「科学」を伝えていく科学者がまだまだ足りないのではないか?
だから子供の理科離れが依然として止まらないのではないか?
そんなことを今日も思っているわけです。こちら の最後に書いたことは、まさしく『おかえりモネ』の今般の話と同じであり……。
(2021年6月20日記)
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