遺伝しないことも遺伝

「遺伝」という言葉を手もとの電子辞書で調べると、 「もともとは親の形質が子に現れる現象。現在の生物学では、形質が現れるかどうかに関係なく、遺伝子が子孫に伝えられる現象をいう」とあります。

まず、拙著『競馬サイエンス 生物学・遺伝学に基づくサラブレッドの血統入門』の第1章「遺伝のしくみ」 における最初の小見出しが「形質」であり(こちら)、つまりこの説明から拙著は書き下ろしました。 まさしくこの言葉は遺伝、そして血統を論じるうえで避けて通れない単語であるからです。

ところで、今日のコラムのタイトル「遺伝しないことも遺伝」というフレーズ中の最初の「遺伝」という言葉が意味するのは、 上記の電子辞書の説明にある「親の形質が子に現れる」ということである一方で、最後の「遺伝」という言葉は、 「形質が現れるかどうかに関係なく、遺伝子が子孫に伝えられる現象」のことを意味します。 つまり、われわれが普段使う「遺伝」という言葉には大きく2通りの意味があるのです。

なんのこっちゃと頭がこんがらがった人もいるかもしれないので、具体的な例を示してみましょう。 例えば人の血液型。こちら は拙著の29ページですが、ここに書いたとおり、A型とA型の両親からO型の子が生まれることがあります。 また、AB型(遺伝子型はAB)とO型(遺伝子型はOO)の両親から生まれる子は、一方の親からは遺伝子Aか遺伝子Bのいずれかをもらい、 もう一方の親からは必ず遺伝子Oをもらうため、A型(遺伝子型はAO)かB型(遺伝子型はBO)のいずれかになります。 つまり、両親のいずれの血液型とも同じにならないのです。以前書いた「なぜA型とA型の両親からO型が生まれるのか?」では、 髪が生まれつき赤い(茶色い)アメリカ人のクォーターの女子高校生が中学時代に黒染めを強要されたという記事を引用しましたが、 これこそ隔世遺伝であって、実の親の形質に似ないことも、きちんと実の親から遺伝子をもらった結果であるということです。

サラブレッドに目を転ずれば、拙著の30ページ(こちら)に書いたような両親ともに鹿毛系ながらも栗毛の馬が出ることも同様の例です。 「遺伝学的にも興味深いシラユキヒメの白い一族(その6)」にママコチャの毛色の話を書きましたが、 遺伝しないことも遺伝という話のサンプルとしては、これまた好例でしょう。 あくまで前記は人間の血液型、サラブレッドの毛色の話ではあるものの、生体のあらゆる遺伝子が導く各種形質は、 このように実の親とはまったく違う形質(つまり生物的特徴)を発現しているのです。

生産者が、自己の繁殖牝馬の交配相手に共通祖先を持つ種牡馬を敢えて選ぶこと(=インブリーディング)は、 生まれてくる仔が父方と母方から同一の「劣性(潜性)遺伝子」をもらうことで、 この遺伝子が導く形質は優性(顕性)遺伝子に隠されることがなくなることを期待するものであるからして、 つまり実の親とは違う形質の発現を期待する行為そのものであり、これは隔世遺伝を期待する行為でもあるわけです。

上述のとおり、今般のタイトル「遺伝子しないことも遺伝」の裏に隠れたキーワードは「隔世遺伝」であったわけですが、すると、 安直に強い馬に強い馬を交配するのが果たして正解なのかとも思えてくるわけです。 まさしく「ベスト・トゥ・ベストの配合はベストなのか?」に書いた話です。 アーモンドアイの今年の交配相手はイクイノックスの様子ですが、このような、 卓越した両親の形質をダイレクトに仔が継承するという思い込みが、競馬サークル内で安直に蔓延していないかという懸念です。 それが度を超えると、似たような血筋の馬同士の配合パターンが増えるわけであり、遺伝的多様性低下の遠因にもなるわけです。

(2024年2月14日記)

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