訂正する力
哲学者であって批評家である東浩紀氏の『訂正する力』(朝日新書)を読みました。
以前、氏の言説をラジオで聴いた時には若干違和感を覚えたことがあり、正直に申せば私は、氏に対してあまりいい印象を抱いてはいませんでした。
当然に同書の中にも、私の価値観では同調できない氏の主張もいくつかあったのですが、その一方でうなずく点がそれ以上にあり、
結果として引き込まれるように一気に読んでしまいました。いろいろな意味で読んでよかったと確実に思った本の1冊です。
今般、この本に手を伸ばした理由の1つとして、前回 書いた話を例に「訂正」という行為の重要性を感じることが近ごろ頻繁にあったのです。
そしてもう1つは、上記のとおり私は東氏に対して好印象を持ってはいなかったのですが、
自ら中立な視点を持ち続けるには、決してエコーチェンバー現象(※)に陥ってならないと思ったのです。
言い換えれば、著者に対する薄っぺらい好き嫌いで読むべき本を選別しては、自分のためにもならないと思ったのです。
(※)自分と似た考えを持った者たちのみの集団でのコミュニケーションが繰り返されることにより、自分の考えが肯定されることによって、
それが世においても正しくて間違いないものと信じ込んでしまう現象。
同書はまず「日本にいま必要なのは『訂正する力』です」という言葉に始まり、その導入部分(6〜7頁)に以下が書かれています。
「日本には、まさにこの変化=訂正を嫌う文化があります。政治家は謝りません。官僚もまちがいを認めません。いちど決めた計画は変更しません。
誤る(あやまる)と謝る(あやまる)はもともと同じ言葉です。いまの日本人は、誤りを認めないので謝ることもしないわけです。(中略)
2020年代に入り、2ちゃんねる創設者のひろゆきさんを中心にした『論破ブーム』が巻き起こり、その傾向がますます強くなりました。
論破するには相手の発言の矛盾を突けばいい。過去と意見が変わっていれば、それだけで負け。そういう判断基準が若年世代を中心に広く受け入れられています。
このような状況では、謝るどころか、議論を通じて意見を変えることすらできません」
東氏の上記の指摘は、「科学界における朝令暮改」に書いたこととかなりの部分で被ります。
特に自然科学の世界では、今日の時点で正しいと言われていたことが、新たな発見によって明日は間違いとされるというようなことはしばしばであり、
これこそが科学の進歩の本質です。
東氏は、「訂正する力は、『リセットする』ことと『ぶれない』ことのあいだでバランスを取る力でもあります」(8頁)、
「リセットすることもぶれないことも幼稚な発想です。日本ではそんな幼稚さばかりがもてはやされている」(9頁)と述べています。
そして、「岸田文雄首相は『聞く力』を標榜していますが、とてもその力が発揮されているとは思えない。でもそれは首相だけの話ではない。
いまの日本人は全体的にその力がなくなっている。『聞く力』は、相手の話を聞き自分の意見を変える力、つまり『訂正する力』でもあるはずです。
(中略) 『最初に言ったことはまちがっていました』という説明ができない。
そんなことをしたら徹底的に攻撃されて、自分たちの計画が潰されると、みなが警戒しあっている」(31頁)とのこと。
これも「科学界における朝令暮改」に書いたことと被ります。
サラブレッドの血統関連の世界では、もしもインブリーディングを推奨している人気血統論者が、
ある時からアウトブリーディングに傾倒した考えを発信し始めたとしたなら、その論者のファンたちからは「なんで言っていることが変わったんだ!」
と責められてしまうのでしょう。そこに確かな理由を示したとしてもです。
また、「不都合な真実」
に書いた血統書の誤りの訂正に対する競馬サークル内の空気や関連組織の態度などは、その指摘されうるべき好サンプルでしょう。
まあ、上記の東氏の指摘は日本社会に対するものであり、血統書の誤りの訂正に対する態度はグローバルな問題ではありますが。
他方、前回 は『優駿』における表記が変更になった話を書きました。その変更はよかったと率直に思います。
確かにその対応は遅々としてはいましたが、目を向けるべきは「過去」ではなく「未来」なのですから、今後に向けて訂正していただけたことは非常に嬉しいことです。
そして、おのおのにおいて訂正すべき事項があれば、謙虚に真摯に訂正し合って、お互いを高めたいと思うのです。
拙著『サラブレッドの血筋』の既版に書いたことは、新たなデータ等からも、少し訂正せねばと思う部分は当然にあります。
現在、第4版の作成の準備に入っていますが、そのあたりも加味しながら原稿を練っているところです。
(2024年3月11日記)
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