不都合な真実

タレントの小泉今日子さんが「バラエティにはくだらないから出たくない」という発言をして、物議を醸したようです。 小泉さんは数年前に検察庁法改正案に対しても反対に声を挙げており、物怖じしないこのような姿勢には賛否があるようですが、長年芸能界に身を置き、 それを取り巻くメディアの事情も熟知している立場ながら、迎合しない小泉さんのような存在は非常に貴重であり、私は支持派です。

ここで忘れてはならないと思ったのは、タレントや言論人を含めた著名人はどこの組織に所属しているのか、 そして普段はどこのメディアを中心に登場しているのか、どこから対価を得ているのか(便宜をはかってもらっているのか)という視点です。 或る政党の議員は特定のテレビ局にばかり出演するというようなのは典型的な例でしょう。 問題を起こしたジャニーズの記者会見では、質問を受け付けない記者を列挙した「NGリスト」が話題になりましたが、 その何人もがフリーのジャーナリストであり、これを反対解釈すれば、 権力に忖度(そんたく)する大手新聞やテレビ局に属する記者は腰砕けのような質問しかしない安全牌であることを意味します。 小泉今日子さんは6年前にそれまで所属していたプロダクションから独立し、現在は「フリー」な立場であることはやはり見逃せない点です。

我がレゾンデートル(その2)」にも書いたように、閉鎖社会において偶像化・神格化したものに対するネガティブな言葉はタブーです。 そして「完全な血統書など存在しない」(その1) (その2) (その3) (その4) (その5) に書いてきたことはまさしくタブー視されていることであり、 今回はこれらに書いたことの延長線上の話をしたいと思っていたのですが、前置きがちょっと長くなってしまいました。

天皇賞や有馬記念を勝ったオンワードゼアは、種牡馬時代に こちら のとおり、 JRAの機関誌たる『優駿』の昭和48年(1973年)5月号の表紙を飾りました。 そして こちら はその5月号中に掲載されているこの馬の5代血統表ですが、この馬の父名のところをご覧ください。 「セントライト又はマルゼア」と書かれています。 上記の「完全な血統書など存在しない」のシリーズには血統表におけるこのような表記の例をいくつも紹介してきましたが、 このオンワードゼアは、まさに実の父親がこの調子なのですから、絶句というか拍子抜けしますよね。 天下の『優駿』にこのような血統表が掲載されていたにもかかわらず、これに関する論議は聞いたことがありません。摩訶不思議です。

いま、昨秋に発行された『サラブレッドの生物学』(エヌ・ティー・エス) という本が手もとにあります。これの「サラブレッドの定義」と題された章には、「血統の登録と遺伝学的検査について」という副題が付されて、 親仔判定のためのDNA型検査などの話が詳述されています。 ところで、サラブレッドの親仔判定にDNA型検査なる行為が導入されたのはたかだか最近であって、日本においては今世紀に入った2002年です。 ここで冷静に考えてみてください。なぜDNA型検査をするようになったのでしょうか? つまりなぜそれが必要なのでしょうか?  それが導入される以前はどのような状況だったのでしょうか?

こちら は2019年の桜花賞2着馬であるシゲルピンクダイヤが昨年1月の繁殖牝馬セールに上場された時のものですが、 DNA型検査を導入する前の時代だって似たような例はいくつもあったはずだということをまずは念頭に置いてください。 そして こちら は、上記の「サラブレッドの定義」と題された章の一箇所ですが、 ここにある「その後、次世代シークエンスによる馬のY染色体の塩基配列解読が実施され、家畜ウマでは740個の観察された変異により、 71のタイプに分類できることが報告された。サラブレッドにおいてもこのタイプ分けを用いることにより、大まかに10のグループに分類することができ、 三大根幹種牡馬の血統を区別することが可能となっている」という言い回しが非常にまどろっこしく曖昧模糊に感じました。 この画像をよく眺めていただきたいのですが、上記の言い回しの箇所に参考文献として "16)" とあるのがわかると思います。 その文献が こちらの論文 です。

完全な血統書など存在しない(その2)」で紹介した論文(こちら)には、St. Simon 系の父祖でもあり Eclipse の仔とされている King Fergus を父系祖先とする馬たちは、 Darley Arabian 系ではなく Byerley Turk 系に属する馬たちのY染色体の型と一致するという解析結果が述べられていましたが、 その後に発表された上記の "16)" の論文ではそれを支持することが述べられており、 こちらこちら はその論文からの抜粋です。 ちなみに こちら は1979年に日本中央競馬会が刊行した『サラブレッド種牡馬系統譜』からの抜粋で、 現在の Darley Arabian 系とされる父系の簡略図です。 King Fergus の名はこの画像の下の方に見えますが、ご覧の通り記録上のこの系統は早い段階(18世紀)で Darley Arabian 系の本流から枝分かれしていることからも、 上記のような科学的解析結果が出ることは十分に予想の範囲とも言えるでしょう。

さらに、ここから先はまだ想像の域を脱しませんが、現世のほとんどのサラブレッドは Darley Arabian 系とされるものの、 Darley Arabian と同じY染色体の型を持った当時の他の種牡馬が父祖である馬もそこに多く含まれるのかもしれません。 別途「完全な血統書など存在しない(その2)」で紹介した こちら の論文では、 血統書上のファミリーナンバーに合致する解析結果が出た馬は実に6割に留まったとのことからも、 当時の状況をそのように想像することはまったく自然なことではないでしょうか。

『サラブレッドの生物学』の当該箇所の執筆者、さらにはこの書物の執筆陣各位の所属組織や経歴を見ると、彼らが過去の血統書の曖昧さに言及することなど、 そしてDNA型検査が導入される前の世界を言及することなど、この本の主旨以前に立場上不可能なことは十分に察しがつきます。 私もその立場なら、当然にそんな言及はできませんし、同様に上記のような曖昧模糊な言い回しをしてしまうのでしょう。けれども、思うのです。 もしも私が執筆者だったら、そこまで書きたくても書けないもどかしさに苦悶するはずです。 もしかしたら、この執筆者は、過去の血統記録が曖昧であることを読者に察知願いたいと遠回しにメッセージを送っているのかもしれない ……などと考えるのは行きすぎでしょうか。

「thorough(完全なる)+bred(血筋)」という言葉を確たるものとする競馬サークル内における上記のような話は、「不都合な真実」以外の何物でもありません。 特に7代前、8代前までさかのぼるような血統理論を展開している論者にとっては、このようなことを認めたなら、自らの理論は根底から崩れるので、 許容など到底できないでしょう。つまり、以上に書いた話は、サークル内のあらゆる層の空気に完全に逆らうものなのです。

しかし、誤った情報または疑義がある情報が見つかったならば、真摯にそれを訂正するか、わからないものはわからないと認めて、 後世には正確な情報を可能な限り伝えることが至上であると、僭越ながら私は考えます。 そんな考えを貫けば当然に逆風は幾度となく吹くはずですが、下手に空気など読まず、迎合も忖度もせず、中立な視線で何事にも接することを肝に銘じ、 この問題には継続的に向き合っていきます。50年後、100年後のホースパーソンに、21世紀初頭は「遺伝子」の実体解明の黎明期であったにもかかわらず、 その時代のホースパーソンは真実の解明に怠慢であったと言われないためにもです。

思ったのですが、嘘偽りなく後世に真実を伝えるという観点からすると、オンワードゼアの父の「セントライト又はマルゼア」という表記は非常に正直であり、 最も適切なのかもしれません。

(2024年2月1日記)

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