我がレゾンデートル(その2)
今回は「我がレゾンデートル(その1)」の続編です。
また、内容的には「利害関係のない立場の強み」の続編でもあります。
因襲(因習)がはびこる閉鎖社会を「ムラ」と片仮名で表記することがあります。
私自身、獣医師ではあるとともに会社員なのですが、自らが在籍する組織の改革においても、外部の専門家からムラ社会化している旨の指摘がなされたことがありました。
新しいものごとや文化に対する拒絶反応の温床たる不文律、掟(おきて)、しきたり……。
昔いた会社では非常識なことが今の会社では常識(その逆も)という例があまりに多いことには何度となく驚きました。
第三者から見たらまさしく奇異な事象の常態化、それに違和感を抱かずに一同が当たり前と思ってしまう怖さを、
いくつかの企業を渡り歩いてきた身として今も感じることがしばしばです。
我が競馬界も「ムラ社会」と揶揄されることが度々です。
典型的なムラ社会には「タブー」が厳然として存在しますが、自らの存在価値「レゾンデートル」を確立するためにはタブーに屈してはならないと常々思っており、
ここで我が競馬界におけるタブーをちょっと洗い出してみたいと思います。
1.血統書の間違いの指摘
これは、「利害関係のない立場の強み」に書いた日本ウマ科学会の
「内容的に血統書の間違いを指摘したいようにも拝読しましたので大きな問題点を含んでいるように思われます」
という言葉こそ、過去の記録の誤りの論議がタブー視されていることを端的に物語っています。
つまり、誤った記録を看過すること自体が「大きな問題」であるはずなのに、それを是正しようとする行為を「大きな問題」ととらえてしまっているわけです。
競馬界には、「現世のすべてのサラブレッドの父系をさかのぼると、1700年前後の3頭のいずれかにたどり着く」という一大ロマンが胡座しており、
全てがそこがベースとなっています。なお、これに関する議論は「完全な血統書など存在しない」と題して
(その1)、(その2)、(その3)、(その4)、(その5)
と書いてきましたので、あらためての詳述は割愛します。
ちなみにこれは、「千円札の肖像」に書いた野口英世の実像を語ることがタブー化していることとも相通じます。
2.偶像に対するネガティブな発言
偶像化した者は、その取り巻きにとっては絶対的な存在です。まさしく「偶像崇拝」です。
つまり上記の野口英世の話も多かれ少なかれこれに当てはまるわけです。
そんな偶像にネガティブな言葉を表立って投げることはそれこそタブーなわけであり、
「山野浩一さんの『血統理念のルネッサンス』を読んで(その1)、(その2)」
およびそこにリンクを張った先に書いたことも然り。山野さんの言説に対して私が指摘したことにすでに気づいていた関係者は少なからずいたはずですが、
JRA賞馬事文化賞受賞者ということもあってか、当然のごとくそれは看過され続けました。
そして、「それでもディープインパクトなのですか?(その1)」
では偶像神格化したディープインパクトを金メッキと揶揄した私に対して唖然とした方も少なくないのでしょう。
「金メッキとは褒め言葉なんですよ」なんて言ったら火に油を注いでしまうのでしょうが、
このような発言ばかりしていると、父方重視の血統論が依然として席巻していることからも、
「天下無敵のブランド(その2)」に書いたような「主観まみれの臆見」のような有難い言葉を頂戴するに至るわけです。
考えてみて頂きたいのですが、ディープインパクトの優秀産駒はもっぱらディープの血のおかげ、
ひいてはサンデーサイレンスから Halo、Hail to Reason そして Turn-to とさかのぼる父系血脈のおかげだと誰かが言ったとしても、
「主観まみれの臆見」などと言われることはないのではないですか?
つまり、それとは逆に私があのような考えを持ち、それを発信したということは、父方の祖先を崇めることが絶対であるムラの掟(おきて)に反したということなのかもしれません。
ちなみに「Galileo の血に埋没する欧州」に書いた話は拙著『サラブレッドの血筋』の第3版にも盛り込んだのですが、
このような話はあちらではどのように受け止めるのかな? なんて思ったりもします。
イギリスやアイルランドの生産者も拙著を購入くださったのですが、「この日本人はとんでもないことを言っている!」とでも思っているのでしょうか??
3.実力者の利益に反する発言
実力者の利益に反する発言がタブー化するのはムラ社会に限らず、あらゆる組織や人間関係に言えることではあります。
のび太がジャイアンに何も言えないように、私がカミサンに悔しいほど何も言えないように……(涙)。
社台Gのあっての今日の日本の競馬界であることは紛れもない事実です。そこは決して忘れてはならないと思います。
他方、どんな素晴らしき組織体であったとしても非の打ち所がない完全なものなどないはずです。
「我がレゾンデートル(その1)」でも書いたとおり、国枝師も角居氏も、本当はもっともっと言いたいことはあるのだと思いますが、
その著書において社台Gに関するネガティブなことは一切書かれていません。非社台の馬で貫く昆師のようではない限り、当たり前の話ではあります。
こちら の表は過去5年の日本のGI競走の勝馬を生産牧場別に色分けしたものですが、
見てのとおり寡占化も甚だしく、このような状況が今後も続けば、例えば一方面の意見ばかりがまかり通るというような歪みが競馬界全体に入るのも当然です。
そんな歪みをなくすためにも現状を常に俯瞰(ふかん)し監視する必要があるのです。
「ブランドに惑わされてはならない」にも書いたように、当然に社台Gのブランド戦略は特定の血筋に意図的に注力するわけですから、
当然に偏った配合が顕著化し、私が別途しつこいまでに論じている遺伝的多様性の低下の問題がつきまといます。
北米では種付頭数制限策が施行されましたが(※)、しかしそれは日本においても社台Gをはじめとする大手ブリーダーの利益に完全に反するので、
仮に施行しようとしても一筋縄ではいかないのは自明の理です。
(※)現地の大手ブリーダーの猛反対に遭って結局は撤回。
社台Gとて「遺伝学」に造詣の深いスタッフは少なからずいるはずであり、そうすると「我が日本の講ずべき方策 」
に書いたような遺伝的多様性の低下に絡む懸念を抱き、このような方策を施行すべきと考えるスタッフもいて不思議ではありません。
が、社台のスタッフがそのようなことや、私が『ROUNDERS vol.5』に寄稿したようなことを発言したなら、それはタブーという以前に「造反」になってしまいます。
私も一介のサラリーマンですが、自分自身の考えと自らが属する組織の考えに乖離がある場合のやりきれない想いは常に抱いており、それと同様です。
また、メディアに出ている解説者やライターの方々にも同様の懸念を抱いている方はいるはずですが(いないわけないですよね?)、しかし立場上、
到底言えないのでしょう。フリーランスであれば、そんな発言をすれば仕事が来なくなってしまいますから。
昨年12月14日の毎日新聞の夕刊に、積極的に政治的発言をしているラサール石井さんを取り上げた
「『文句言いおじさん』の覚悟」と題した記事 があったのですが、以下の言葉に深くうなずいてしまいました。
「2大政党制で二つの政党が切磋琢磨して、今度はこっち、今度はあっちって交代するのが僕の理想。
だから、野党を応援しているのは事実だけど、僕自身は中道で真ん中にいると思っている。
でも、世の中がどんどん右に傾いているから、舞台でいうと、僕は真ん中にいるのに、客席が動いて、僕がいつの間にか左に寄ってるというような感じですね」
僭越ながら私も、中立を貫くのが我がレゾンデートルだと考えます。
私の考えを「母系偏重」や「アンチインブリーディング」のように思っている方も少なくないかもしれません。
しかし、私に言わせてもらえれば、サークル内の空気があまりに父系偏重でインブリーディングに好意的な思考が過剰なまでに席巻していると思わざるを得ないのです。
だからこそ、そんな空気を敢えて読まずに、時に火の粉を浴びる覚悟で発言し続けてこそが自らのレゾンデートルであると思っているのです。
(2022年2月13日記)
「我がレゾンデートル(その3)」に続く
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