キャッチーな表現
3日前の日本ダービーは、41歳の少壮調教師である安田翔伍師が手掛けたダノンザテイルが快勝しました。
これに伴い、こちら のデイリーの記事のように「最年少ダービートレーナー」
と謳った記事が溢れたのですが、「あれ?」と思ってしまったのです。
我が母校の獣医学科の大先輩でもある松山康久さんがミスターシービーを送り出した時は確かまだ30代だったよな……と。
こちら の島田明宏さんの『Number Web』の記事には、
きちんと「1984年のグレード制導入以降で最年少となる41歳10カ月19日でダービーを制した安田師」とあり、
そうすると、その前年たる1983年にダービー馬を送り出した松山さんは範疇外になってしまったというわけです。
つまり、いくつものメディアは当該基準で記事を発信していたわけですが、その多くはそのような注釈は付していません。
それどころか、上記のデイリーの記事など「"史上"最年少」と書いています。それにしても、なぜグレード制導入以降に話を限定しているのでしょうか?
初期の東京優駿競走における調教師の年齢記録は曖昧というのもあるのかもしれませんが、安田師を「最年少」として祀(まつ)り上げる、
つまりキャッチーな見出しの創出のためのように思えてくるわけです。
ところで先日、或る書物で或る血統評論家の或る種牡馬の血統背景に関する記事を見たのですが、
そこには「クロスはヌレイエフ≒サドラーズウェルズの3/4同血クロス3×4・5」というくだりがありました。
その種牡馬は、意義あるこのような配合の産物であるようなことが書かれていたのですが、何度読み返してみても、
どうしてそのような結論になるのかはもとより、その前後のくだりを含めて私には何が何だかさっぱりわかりませんでした。
正直なところ、「≒」とか「3/4」とか「〇×〇・〇」という記号や表記を散りばめることにより、
あたかもそこに意義があるような幻想を読者に抱かせるトリックを駆使しているように感じてしまったのです。
(近親交配の意で「クロス」という言葉を用いるのは避けるべき旨は、本コラム欄 や こちら の拙著で書いてきました。
また「・」についても こちら のとおり拙著で触れました)
このような言説においては、たびたび「≒」のような記号に出合います。一卵性双生児やクローンのように遺伝子一致(共有)率が100%ではないものの、
その一致率は高い値になるものを指しているようですが、では、「=」ではなく「≠」でもなく「≒」であれば、どうしてそのような結論が導き出せるのでしょうか?
それ以前に、このような言説では全きょうだい同士も「≒」で示していることはしばしばですが、
拙著の こちら にも書いたように全きょうだいの遺伝子一致率は50%にすぎず、
果たして「50%」を「≒」と表記してしまっていいものでしょうか。
ちなみに上記記事ではヌレイエフとサドラーズウェルズの関係を≒としていますが、両馬は全きょうだいではないので一致率は50%にも至りません。
このようなマジックワードを散りばめた記事を好んで読む層は、
このような配合パターンにおける近交度合い(近交係数)はどのように解読すべきなのかなどをきちんと理解しているとはどうしても思えず、
「なんとなく良さそう」という思考が根底にあり、そんな感覚を楽しむことに傾倒しているというのが実際なのではないでしょうか。
つまり、以上のような記事や書物の作成側においては、その内容の正確さよりも如何に読み手の心をつかむかが優先事項だということです。
そのためにはキャッチーな言葉、表記、記号を散りばめる必要があるということでしょう。
その意味では、「競馬ジャーナリズム」や拙著の こちら に掲載したような「ファントムシーフの2×2」
などその典型です。また、「国際化はまだまだ道半ば(その2)」に書いた「ジーワン」も同様です。
以上は競馬サークル内に関する話でしたが、このことからも推察できるのは、世のあらゆる分野において、
あからさまであるか婉曲的であるかにかかわらず、事実とは独立したキャッチーな言葉や表現が存在しているということであり、
ネット社会たる現在においてはありとあらゆる情報が錯綜しており、その内容の真偽を見分けるリテラシーがますます求められてくるということです。
最後にもう一度、ファントムシーフのインクロス表記の話をさせてください。
あのような表記は適切ではない旨は「『優駿』における表記がようやく変更に」にも書いたとおり、
今年の2月の初めにネットケイバ側に直接伝えました。けれども、残念ながら現時点で何らの反応もありません。
4か月近くが経ち、何の音沙汰もないことからも、ネットケイバ側は敢えてこのままにする意向のようにも思えてきました。
特に近親交配(インブリーディング)に関する誤解の話は拙著でも本コラム欄でも繰り返し書いてきましたが、
するとどうしても、評論家の言説や既存サイトに対してネガティブなことを書かざるを得なく、つまりますます煙たがられるのが正直なところ辛いです。
私自身、『ネットケイバ』は『JBISサーチ』に並んでデータ検索では最も利用させていただいているので、感謝の気持ちは一杯です。
だからこそ、修正すべき点は修正してほしい、キャッチーなバイアスにかかることなくよりよい情報サイトになってほしいと願わずにはいられないのです。
(2024年5月29日記)
冒頭でグレード制の話が出ましたが、「国際化はまだまだ道半ば(その2)」にも書いたように、
日本ダービーが国際格付を得て内外で正式に「GI」と呼べるようになったのは2010年です。
(2024年5月31日追記)
「このような言説では全きょうだい同士も『≒』で示していることはしばしばですが」と書きましたが、そのような言説をよく眺めると、
全きょうだいさえ「=」と見なしてしまっているのがほとんどかもですね。上記のネットケイバの表記こそその誤解の典型です。
(2024年6月2日追記)
キタノグリエルという2020年生まれの馬がいます。この馬の『JBISサーチ』における5代血統表は こちら です。
しかしネットケイバの血統サイトは上記のようにプログラムされているため、この馬の血統表はこちら のように「2×2」
と表記されてしまっており、そこの掲示板を見ると、そのように信じ込んでいる者は少なくない様子です。
こちら のワイズメアリーというキタサンブラック産駒の血統表も同様です。
もうそろそろこのようなキャッチーな表記をするプログラムは修正し、誤解の拡大に歯止めを掛けませんか。
(2024年6月4日追記)
全きょうだいの遺伝子一致率は50%と書きましたが、これは便宜上の数字です。
当然に遺伝的多様性の低下した集団や近親交配においては、それよりも多少高い数字になります。しかし、いずれにしても「≒」のレベルではありません。
(2024年6月15日追記)
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