執念の血
今月はじめのセレクトセールに続き、先週は日高勢がメインのセレクションセールが開催されました。
個々の落札額を比較すれば、前者に比べて後者は当然に見劣りはしますが、当歳や1歳の馬に何億もの値が即座につくセレクトセールが異常であり、
じっくりと上場各馬に目を凝らせば、セレクションセールも負けず劣らずの目が離せない市場です。
実は、個人的に気になっている馬が今年の上場馬中に1頭いました。
「フクシアの2023」という牡馬(父ナダル)で、血統表は こちら であり、
5代母がテンポイントの祖母である丘高(競走名:クモワカ)なのです。
母馬フクシアのことは6年前に書いた「私の思い入れの母系」で触れましたが、そこにも書いたとおり、
クモワカは殺処分対象たる馬伝染性貧血(通称「伝貧」)の診断を受けました。しかし関係者は、その症状や検査結果からそれを受け容れませんでした。
馬主の山本谷五郎氏はこの血を繋ぐべく裁判を起こします。そして都合11年にも及ぶ紛争は最終的に勝ち、クモワカの仔の血統登録が認められたのです。
昭和53年(1978年)5月のサクラショウリが勝ったダービーの中継に続けて放送された『風花の中に散った流星 名馬テンポイント』
には俳優の緒形拳さんが出演したのですが、以下はその中での緒形さんのナレーションの言葉です。
「テンポイントは亡霊の孫だと言われている。日本競馬史でも語り草になっているその伝記的な話は、テンポイントの祖母、クモワカという馬の死から始まる。
伝染性貧血症をわずらって薬殺された馬が、墓穴から蘇って産んだのがワカクモで、その幻の馬の仔がテンポイントだという語り伝えは、
額の流れ星のしるしとともに、あまりにも作り話めいている」
それにしても、クモワカのオーナーの執念はすごいな……と、いまさらながら唸ります。それだけこの馬の血の大切さを認識していたということでしょうか。
ちなみにウィキペディアの「クモワカ」のページでは、この伝貧事件については こちら のように書かれていますが、
私レベルで過去に見聞した内容に照らすと、ちょっと話をマイルドに偏曲させている感じがします。
フクシアの2023に話を戻せば、今般1700万円(税抜)で落札されたのですが、その落札者の名を見て驚きました。なんと天下の「社台ファーム」だったのです。
それも、社台ファームが今回のセレクションセールで落札したのはこの馬のみであり、まさしく一本釣りでした。
そこで、クモワカが流浪の末にたどり着きワカクモを産んだ吉田牧場と、社台ファーム(現在における社台グループ)の関係について、ちょっと記したいと思います。
「吉田牧場への我が想い」にも書きましたが、
社台ファームの総帥であった吉田善哉氏と、テンポイントを生産した吉田牧場3代目の吉田重雄氏とは、姓が同じであることからもわかるとおりその父祖は同じであり、「はとこ」の関係になります
(以下、各々の父系「善太郎→善助→善哉」および「権太郎→一太郎→重雄」(敬称略)を念頭に置いてください)。
いま手もとに、1999年のJRA賞馬事文化賞受賞作である吉川良氏の『血と知と地』があります。
その帯には「吉田善哉を知らずして競馬を語ることなかれ!」とあり、この本の冒頭には、善哉氏の祖父善太郎氏の17歳下の弟である重雄氏の祖父権太郎氏が、
馬産を始めるに当たっての経緯が以下のとおり書かれています。
「弟の意欲を聞いて、農業に心血を注いでいた42歳になる長兄の善太郎は興味を示し、それを全面的に支持したようである。吉田一族の馬産への出発だ」
そこにある年齢から明治36年(1903年)当時のことのようです。さらに以下が書かれています。
「善哉さんの父の吉田善助が社台牧場を始めたのは権太郎さんの影響が強い」
そして善哉氏は、少年時代にはひとりで白老の自宅から早来の吉田牧場まで頻繁に遊びに来ていた話などがこの本に記されています。
再度話を戻します。クモワカの関係者のその血への執念は、上記のとおり並大抵ではありませんでした。
つまり、その裁判沙汰の一大騒動を吉田善哉氏のご子息各位はすぐ近くで見聞していたはずであり、これが、
今回のセレクションセールにおける社台ファームの一本釣りに繋がっているのではないか?……と我ながら誠に勝手な妄想にも近い想像をしているのです。
善哉氏の長男であり現在の社台ファームを率いる照哉氏が、ホースマンとして第一線で指揮を執れるのは年齢的にも今後そう長くはないでしょうし、
思い出深い母系の良馬に触手を伸ばすということではなかったのかな……と。
もしもご本人にその話を向けたら、「考えすぎだよ」と一笑に付されるのがオチかもしれませんけどね。
クモワカを牝祖とする著名馬では桜花賞馬のダイアナソロンもおり、ダイアナソロンからの系統はなんとか現在も残っているようです。
ちなみに来月のサマーセールには「ハルサンサンの2023」という牝馬が上場されるようであり(血統表は こちら)、
テンポイントの全妹であるイチワカを5代母に持ちます。
父はフクシアの2023と同じナダルでもあり、終焉を迎えつつある吉田牧場に代わり社台ファームが再び動くか?……なんて思ったりもしているのですが、果たして。
「ミトコンドリアの遺伝子」にも書いたように、母性遺伝には奥深いものがあると私は考えています。
そして、執念の末に繋がれたクモワカの血には、先人のご苦労を想いつつ、確かなロマンを感じてしまうわけです。
(2024年7月29日記)
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