なぜ特定の牝系から多くの活躍馬が出るのか?(その6)
本コラム欄の「似て非なる全きょうだい」では、全きょうだいでも思った以上に違う部分があることを書きました。
「でも、前回の「なぜ特定の牝系から多くの活躍馬が出るのか?(その5)」では堀田の奴は、
サートゥルナーリアを例にして、父が違うことを論じることにそれほどの意味を持たないようなことを書いていたが、話の整合性は取れているのだろうか?」
……と思って下さった方がいたとしたなら、私のコラムを本当によく読んで下さっているということでありますね。もしも本当にそのような方がいらしたら、とても嬉しい限りです。
話の整合性はきちんと取れていることを、前回の補足として今回はちょっと書いてみたいと思います。
全きょうだいでも表に現れる「違うもの」とは何かと言ったら、生物学で言う「形質」です。これは、生き物としての個々の特徴と思ってみて下さい。
物理的な特徴と言えば身長、顔立ちなどがありますし、形のない特徴と言えば性格(キャラ)や嗜好の質もそのひとつと言えます。
先天的な遺伝性の各種疾病も悲しき形質の例です。
一卵性双生児の遺伝子共有率は100%なのに対して、二卵性双生児は50%で通常の兄弟姉妹と同じです。
つまり二卵性双生児は、外見等の形質については通常の兄弟姉妹と同じようにところどころ似ているというレベルであり、
これは、同じ双子でも遺伝子共有率の差で一卵性間と二卵性間で形質発現のシンクロ状態に差が見られるということです。
ここで、一人っ子ではない(一卵性双生児でもない)方々には自分と自分のきょうだいとの違いを思い浮かべて頂きたいのですが、「こいつとは同胞と思われたくない!」
と思う方も少なくないのではないでしょうか(笑)。そのように思われたあなたは、自身のきょうだいとは価値観の相違があるということであり、
そのような相違は、心の在り方を左右する遺伝子保有状況の違い(=形質の差異)に拠るとも推察されうるので、
これが「似て非なる全きょうだい」で述べた論点でもあるわけです。
ところで、きょうだいがそろって東大に入った家庭を取り上げたバラエティ番組を見た記憶があります。
そんな番組で論じられることのほとんどは教育方法なのですが、「「氏より育ち」は本当か?」でも書いたとおり、
これは遺伝に拠る部分も当然ながらあります。
しかし、バラエティ番組でそんな話を突っ込んですることはほぼありません。タブーの領域に入ってしまうからです。
こんな喩えをしてみましょう。旬の食材、例えば秋なら秋刀魚(サンマ)がありますが、油が乗ったところを七輪でじゅーじゅー焼いた音を想像するだけでもよだれが出ますし、
本当に新鮮なら刺身で戴くのも格別でしょう。以前、新潟の友人のところに遊びに行った際、特別な栽培を実践している農家の甘みのあるトマトに驚いたことがありますが、
そのまま食べてもよし、他の野菜と混ぜてサラダにするのもいいでしょう。
全きょうだいにおける「違い」とは、焼いて食べたときと刺身で食べたときの秋刀魚の味や食感の違いのようなものだと思うのです。
調理法により、その味や食感は同じではないものの、旬の秋刀魚の風味に変わりはない。
「母系」とは、その素材を育む「土台」のようなものだと思います。優れた素材(食材)であれば、どのように調理しても美味いものは美味い!
ただし、その素材に基づく個体の全てが優れているというわけではなく、一部に病気になったり腐ったものがあるのも事実です。
これらのことから、あくまで優れた母系というのは高確率で良い物が収穫できるということ、つまりこれは、
製造現場で言うところの「『収率』『歩留まり』が高い」ということと同じではないかと私は考えているのです。
(2019年5月25日記)
「なぜ特定の牝系から多くの活躍馬が出るのか?(その7)」に続く
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