競馬界における「優越的地位の濫用」

独占禁止法の抵触行為に 「優越的地位の濫用」 というのがあります。 詳細は ウィキペディア でも参照できますし、 本コラム欄では こちらこちら でも触れました。 つまるところ、市場原理に反する不公正な取引方法の禁止がこれの趣旨です。 その趣旨に照らしてみると、現在の競馬界の様子はどうでしょうか?

前回 書いたように、社台に種付けに行く中小の生産者は、貴重なデータを社台に与え続けています。 しかし下手に社台に対して物を申せば、もしかしたら種付けの権利等で不利な扱いを受けてしまうかもしれませんよね。 弱小な生産者の立場なら、そんなことを思うのは至極当然です。 よって、巨大組織たる社台には何も言えないという構図が無意識のうちにできあがるわけですが、 これは独禁法における 「優越的地位の濫用」 と同様のスキームであることが分かると思います。

ところで 、以前 「利害関係のない立場の強み」 でも書いたとおり、 JRAの機関誌たる『優駿』に寄稿しているライターの方々でもJRAに対して物を申したくなることも当然のことながらあるでしょうが、立場上、 負のイメージをもたらすことは決して公には書けないでしょう。

例えば 「JRA賞馬事文化賞」。現在の競馬界に対して非常に的を得た改善を提案するような優れた内容の著作があったとしても、 それが現在の競馬界(≒JRA)の在り方に少しでも批判的な言及があれば、授賞対象にはならないでしょう。 「優駿エッセイ賞」 の応募作にしても、現在の競馬界の在り方に辛口なものがあれば、審査にバイアス(検閲)がかかるでしょう。 当然と言えば当然の話です。

そんな中、先日発売された国枝栄調教師の 『覚悟の競馬論』(講談社現代新書)を読ませて頂きました。 前半は無難な内容に終始している印象でしたが、後半の 「第5章 東西格差をどう解消するか」「第6章 日本競馬への危惧」 ではかなり突っ込んでJRAに意見されており、 思わず唸る箇所がいくつもありました。

ふと思ったのです。国枝師は既に60代半ばであり定年も見えてきていることから、あそこまで書けたのではないか?……と。 これが、若い調教師も国枝師と同じことを思っていたとして、仮に出版社から執筆のオファーが来たとしても、さすがに躊躇するはずです。 サラリーマンの私も、残りの会社人生にカウントダウンが聞こえてくると、怖いものなく物申せるようになってきており、国枝師の気持ちが理解できたような気持ちにもなったのです。

しかしです、さすがの国枝師も社台に対しては何も言えないでしょう。当然 『覚悟の競馬論』 に社台グループに対してのネガティブなことは一切書かれていませんし、 どんなに高名な調教師でさえ、あのような巨大組織を相手にすれば弱小企業と同じであり、一歩誤れば 「優越的地位の濫用」 の煽りを食いかねません。 そんな煽りを食った調教師の過去の例もいくつか思い当たると思います。それを思うと、非社台の馬にこだわる昆貢調教師のような存在はあらためて貴重だと思います。

ちなみに私においては、以前は競馬関連雑誌やウェブサイトからいくつか執筆オファーを頂戴したことがあったのですが、近頃はそれは殆どなくなりました。 こんな辛口のことばかり書いている奴の原稿を掲載したら睨まれてしまう……と思っているのかもしれませんね(笑)。

この業界は、JRAと社台グループの顔色を常に窺い、萎縮しきっています。 過日の日高訪問でも、ディープインパクトやキングカメハメハの早死は過度な種付役務が原因でもあろう……というのが生産地の率直な認識であることを再確認したのですが、 (過剰使役により日高が恩恵を受けた部分もあり)表立っては誰も要らぬことは言えません。『優駿』9月号にしても、見事なまでのディープ追悼記事一色でした。

明日の天皇賞ですが、出走馬16頭のうち10頭がノーザンファームの生産馬です。 これは今に始まった話ではないですが、「6頭も非ノーザンがいるのか」 などと思ったならば、もうそれは感覚が麻痺していることを意味します。

私は馬体を見る眼は全くなく、パドックではいつも 「人間」 を見ています。生産者、調教師、オーナーたちの顔色を眺めるのが非常に面白い。 明日は、社台グループの大御所と有力馬(ノーザンファーム生産馬)の各調教師の表情を、じっくりと双眼鏡で眺めさせて頂きます。

(2019年10月26日記)

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