科学的啓発の必要性(その2)
前回 書いたものをあらためて読み返してみると、さらに補足が必要かなと思ったので、またまた続編です。
私は 「サンデーサイレンスの3×4」 そのものに懸念を示しているわけではありません。
エピファネイアやモーリスの配合を例に、どうも昨今の生産界は単一思考に席巻されているように見受け、そのような思考に起因する遺伝子構成のバラエティの欠如、
つまり多様性が相対的に低下することに対して、生産界、ひいては競馬界全般があまり疑問を抱いていない様子に対しての懸念を示しているのです。
言い換えれば、このような現状を肯定的に捉える概念が跋扈(ばっこ)してしまう恐れがあること、
つまり物事を多角的に検討せずに、一側面からだけ見た事柄を深慮なく受け入れてしまうマインドの席巻が非常にリスキーであると申しているのです。
本コラム欄では何度も 「遺伝的多様性」 の維持の意義を論じてきましたが、世の中のあらゆる分野においても、
いとも簡単にデマやフェイクニュースの罠にはまる例が散見されることから、万事において疑問を抱かぬ単一思考が蔓延していると感じざるを得ず、
これこそ思考多様性の低下がもたらす社会的弊害と言えるのではないでしょうか?
例えば、過日より物議を醸している こちらの自民党のウェブサイト。
リンク先が消えた場合のために、以下にこの四コマ漫画の言葉を抜粋します:
「ダーウィンの進化論ではこういわれておる」
「最も強い者が生き残るのではなく最も賢い者が生き延びるものでもない」
「唯一生き残ることが出来るのは変化できる者である」
だから憲法改正が必要だという論法であり、進化論の誤用・曲解であることは言わずもがなですが、どれだけの国民がその進化論の解釈はおかしいと疑問を抱いたでしょうか?
この四コマ漫画は生物学(ひいては自然科学全般)に対する侮り行為に留まらず、
われわれ国民はこのような内容にも疑問を抱かずに頷いてしまうだろうと政権政党に侮られていることも意味します。
本件について、日本人間行動進化学会が こちらの声明 を出しました。
なお、その声明の中で、或る意味で非常に重要だと思ったのが以下のくだりです:
「このような誤用がいまだに流布し続けていることは、私たち科学に携わる者の努力不足だと言わざるを得ません。
進化の視点から人間行動と社会を理解しようとする専門家の集団として、非力を痛感し、深く反省しています。
そして私たちには、進化のありようを、安直に社会の望ましいあり方として提案することの危険性について、社会に警鐘を鳴らす責任があると信じています」
全くもって同感です。サラブレッドの生産界にしても、いびつな遺伝子プールに起因する非健常性の温床拡大に対して、
然るべき組織や専門家から科学的警鐘が鳴らされずに看過し続けると、その結末はどうなってしまうかということを、
関係者がもう少し危機感を持って具体的にイメージする必要があるということです。
あらためて、ダーウィンの進化論である 『種の起源』。
以前、生物学者の福岡伸一先生がラジオで、進化研究を生業とする生物学者でも 『種の起源』 をきちんと読んだ者は少ないとおっしゃっていました。
私も、拙著の次版の完成後にでも 『種の起源』をはじめとする進化論を腰を据えて読まねばと思っているところです。
なお、ダーウィンの進化論たる 「自然選択説」 は、同種の生物集団ながらも多様な個体がいることで環境変化にも生き残るものがいることを説いており、これは、
「失われる遺伝的多様性」 で書かせて頂いたことと重複します。
ところで、以前読んだ 『DNAの98%は謎』(小林武彦 講談社ブルーバックス)には、
人間のY染色体は男という性を決定する遺伝子を含めてごく少数の遺伝子しか保有せず(こちら も参照)、
進化の過程で縮小しており、500万年後には消滅するかもしれないという説も紹介されていました。
つまり、男がこの世からいなくなることが 「究極の進化」 なのかもしれないのですよ! 哀しい……。
(2020年7月3日記)
「科学的啓発の必要性(その3)」に続く
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