科学的啓発の必要性(その3)

大阪府の吉村知事は、新型コロナウイルス感染症対策として、ポビドンヨード製剤(代表的商品名 「イソジン」)があたかも効果があるような会見を行いました。 しかし、これについては何ら科学的エビデンスはなく、ポビドンヨードで過剰にうがいをすると、 口腔内の(善玉の)常在菌を減少させたり甲状腺に悪影響を及ぼしたりする懸念もあり、各方面から批判が上がりました。 (ちなみに 「ポビドンヨード」 と 「イソジン」 の関係は こちら で触れました)

この吉村知事の発言、そしてそれに伴う世の中の動きに対して、私なりに思ったことは色々とあるのですが、整理すれば以下の3つに集約されます:

@ファクトチェックがないがしろにされている。
Aわれわれ一般市民はいとも簡単に扇動される。
B要職者や著名人は自己の発言の影響力に細心の注意を払うべきである。

この吉村知事の発言を受け、マスクもせずにポビドンヨード製剤を求める人が殺到したというドラッグストア従業員のツイートを見たのですが、 どうもわれわれ一般市民は、ひとつのことに頭の中が占拠されると、他のことはどうでもよくなってしまう部分があるようです。 これは、「デジタル思考の弊害」 で書かせて頂いたように、全ての物事に白か黒か、有るか無いか、右か左か、 という判断を求めてしまう心理と密接に関係しているように思われます。つまり、絶対的効果がある薬さえ手に入れば、マスクなど全く意味がないという思考……。

以前ラジオで、社会学者で東京都立大学教授の宮台真司氏が面白いことをおっしゃっていました。日本人の多くは 「ゼロ・リスク」 を求めるという話です。 例えば、日本人がよく口にする 「安心」 という単語は英語にはなく、あるのは 「feel safe」 や 「feel easy」 というような言い回しだけだと。 そして 「安心」 と 「安全」 は全く違う。つまり、誤った情報を鵜呑みにして下手に 「安心」 してしまえば 「安全」 がないがしろになる。 ところが、日本はあまりに究極の安心を追い求めるゼロ・リスクのマニアばかりであり、自分が安心したいがために、自分が信じたことの対岸にあるものを攻撃してしまう、 といった趣旨であり、思わず深く頷いてしまったのです。

Yes か No かの答えしか求めない……そんなわれわれがいませんか?  特に科学の世界では、ほとんどが分からないことで埋め尽くされています。 「人間のゲノム(全遺伝情報)が遂に解読された!」 のようにメディアは喧伝しましたが、一方で、 ゲノムの在り処(ありか)たるDNAには、未知ながらも有用な情報が存在するに違いないという領域もまだまだ沢山あるということが分かってきているのです。 つまり、DNA上の2%の領域でしかない 「遺伝子」 ですが、それ以外である98%の領域こそに生命の営みに重要なものが潜んでいるらしいことが徐々に判明しているのです。

「分からないものは分からない」……しかし、ゼロ・リスク・マニアにはそのような思考はなかなか受け入れらないのでしょう。 そうなると、いとも簡単にいい加減な結論に溢れる 「ワイドショー情報」 に惑わされるわけです。 いま、『疑似科学入門』(池内了 岩波新書)をあらためてパラパラとめくっているのですが、今回の騒動に対しても当てはまる箇所がいくつかあり、例えば以下です:

「情報を得るにしても 『お任せ』 の態度ではないだろうか。テレビや新聞、そして今やインターネットから情報を得ることが多くなっている。 しかし、果たしてその情報が正しいと言えるのだろうか。むろん、私たちは独力ですべての情報を収集して真偽を確かめることができないから、それらのメディアに頼らざるを得ない。 であるからこそ、いっそうメディアの言うことは眉に唾をつけて受け取らねばならないのだ」(本書94頁)

私自身も、「この配合は良いか悪いか?」 のような質問を受けることがあるのですが、正直なところ、何と答えていいのか困るのが常です。 このような質問をされる方々は、断定的な論調の血統論者の言葉にばかり接してきたのかな? なんていつも思ってしまうわけで、 そのような血統論者がそのような質問を受けたときは、期待どおりに Yes か No かをハッキリと回答するのでしょう。 ちなみに、このあたりの話は こちら にも書きました。

今般の 「イソジン騒動」 ですが、『科学はなぜ誤解されるのか』(垂水雄二 平凡社新書)にある狩猟採集民時代の話を持ち出した以下の一節は、 非常に当てはまるような気がしました:

「右に行けば正しい可能性が70%、左が正しい可能性が30%だったとしても、リーダーは 『右だ!』 と叫ぶほかない。 乏しい情報から決断を下さなければ獲物を仕留めることはできない。たとえまちがっていても、因果関係を断定することが必要なのだ。 現在でも、大衆が科学的に考えて決断をためらう指導者よりも、根拠がなくとも断定できる指導者を好むのは、 私たちが進化的に受け継いだ古い脳の仕組みの名残なのではないだろうか」(本書76頁)

最後に蛇足ながら、こちら に書いたとおり 「イソジン」 とはポビドンヨード製剤の一商品名(商標)に過ぎないのですが、 メディアや著名人のほとんどが今回の騒動について冒頭から 「イソジン」 という言葉を使ってしまっていること、つまり、 違う商品名の(有効成分は全く同じである)ポビドンヨード製剤は全く無視されてしまっていることに、「ブランド」 というものの威力をまざまざと感じてしまいました。

(2020年8月9日記)

科学的啓発の必要性(その4)」に続く

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