誤解を与えないように心がけたい
前々回に書いた 「セレクトセールの上市馬のリストを見ながら……」 で私は、些細なことかもしれませんが、セリに出すことを意味する言葉として
「上市」 と 「上場」 のどちらを用いるべきか、ちょっと迷ったのです。
確かにセレクトセールをはじめとする馬のセリにおいては 「上場」 という言葉を用いますが、世のあらゆるビジネスで市場に出すという意味では 「上市」 の方が自然なので、
いままで私はこちらを使ってきました。
しかし、確かに世のビジネスの各領域において、この 「上市」 という言葉は一般化していますが、いろいろと調べてみると、もともとは製薬業界が、
研究開発を経て承認された新薬を製品として市場に出すことに対して使い始めた言葉のようです。
そうか……私自身、製薬会社勤務が長かったせいで、自ずとこの言葉を使うことに違和感がなくなっていたのかもしれません。
よって、あらためて読み手の立場を鑑みて各々の言葉を使ってきたのだろうかと考えると、恥ずかしながらちょっと疑問が湧いてきたわけであり……。
ということで今回は、そのへんの話を書いてみようかと思いました。
世の中は相変わらずのコロナ騒動の渦中ですが、その各報道における 「今日の新たな感染者は○○人であり……」
のような言い回しには、ちょっとどころかかなりの違和感を抱いています。
まず、「感染者」 と 「感染確認者」 はイコールではありません。昨今のほとんどの報道で言われる 「感染者」 は、単に感染が確認された人のことを指しているにすぎず、
実際に感染していても未検査で感染未確認の者の数はかなりなはずであり、つまり正確な 「感染者」 の数は膨大であることが推察されるのです。
いまちょうど見たヤフーのニュースの見出しに 「感染者急増 PCR検査増も影響か」 とありましたが、検査すれば感染者が増えるような言い回しもあまりに酷い。
さらに、「感染者」 と 「発症者」 も違います。感染していても症状が全く出ないこともあり(=不顕性感染)、
どうもコロナ騒動のみならず、昨今の世間日常に氾濫する言葉において、誤解を惹起しうる表現があまりに多いということです。
言葉の使い方、用語の選び方について、あらためて競馬サークルに目を向けてみれば、「ジーワン」 という言葉については 、こちら
で書かせて頂いたとおりです。
先々週のプロキオンステークスの実況でもアナウンサー氏が、勝ったサンライズノヴァを 「さすがジーワン馬!」 のような持ち上げ方をしていましたが、
この馬が勝っていたマイルチャンピオンシップ南部杯はあくまで国際格付のない JpnIであり、海外のホースマンに、
「Japanese people call this horse "GI winner", but which GI race did it win?」 と尋ねられたら、何と答えればいいのでしょうか?
厚切りジェイソン氏をここに連れてきたなら、「ホワ〜〜〜イ ジャパニーズピ〜ポ〜???」 でしょう!
遺伝学領域の用語では、こちら に書いたように、
医療従事者でさえも 「劣性遺伝子」 とは能力が劣っているとか劣化した遺伝子と思い込んでいる人も少なくないというのが現状のようであり、
日本遺伝学会は 「優性」 を 「顕性」、「劣性」 を 「潜性」 と改訂することを提唱していますが、まだまだ浸透には時間がかかりそうです。
ところで、転職したときや別部署に異動したときに、「その言葉をそんな意味で使っているのか?」 とか、
「タレントの DAIGO じゃあるまいし、意味不明の略語が飛び交っている!」 と思った人も少なくないでしょう。
そんな隠語が新天地では溢れていたとしても、それが新参者にはほとんど理解不能だったとしても、誤解して変な方向に解釈さえしなければ、まあそれはそれでいいでしょう。
最も気をつけなければならないのは、相手が発した言葉を間違って解釈したり、自分が発した言葉がとんでもない方向に理解されたりすることです。
私が重ね重ね苦言を呈しているのが、日本の競馬サークルにおける 「クロス」 という言葉の使い方であり、こちら にも書いたとおり、
英和辞書で 「cross」 の意味を調べてみても 「(異種)交配する」 という意味は見当たるものの、近親交配のような意味は見当たりません。
日本遺伝学会発行の 『遺伝単 遺伝学用語集』 における
「cross」 「incross」 「outcross」 の用語説明は各々のリンクのとおりです。
確かに単語ひとつの使い方という話ではあるので、そこが外界とは交流を要しない独立したムラ社会ならば、余計なことを言って波風を立てる必要もないでしょう。
しかし、我が日本の競馬界における国際化への加速度は益々アップしているわけで、
海外のホースマンたちに誤解も困惑もさせないためにも、近親交配の意味ではインクロス [incross]、 異系交配はアウトクロス [outcross] と言うべきだと私は強く提唱します。
……実は、かくいう私も以前、市販誌に寄稿した原稿(※)では深慮なく 「クロス」 という言葉を使ってしまったことがあり、反省しているのです。
そんなことからも、仮に今後、近親交配に関する記事の寄稿依頼があったとして、もしもその編集部が 「クロス」 という言葉で統一してくれと注文してきたなら、
よっぽどのことがない限り私はその寄稿を断るでしょう。
ひとつひとつの言葉の持つ意味を確認しながら、伝えるべきことを誤解を与えないように発信していくのが自分の使命だと思っているわけで、
曲がりなりにも生物学をかじった者の責任でもあると思っているからです。
(※)6年前、『サラブレ』 編集部発行の 『サラBLOOD!』(vol.2)に寄稿した 「警鐘 インブリードにおける諸刃の剣 〜サンデーサイレンス系繁栄への課題〜」
あらためて、一方通行の誤解を招きやすい言葉遣いになっていないか、ひとりひとりが相手方の視点に立ってみて、
その修正や訂正を要すると分かったときは、お互いに理解し合って受け容れていくことが肝要であると考えます。
当然のことながらこれは、世のありとあらゆる分野においても言えることです。
(2020年7月26日記)
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