求められる多面的・多角的な思考力(その1)

前回 、シーザリオの仔であるルペルカーリアのことを書きました。残念ながらデビュー戦は4着だったようですが、まだまだこれからの馬ですし、 現時点でネガティブな評価は尚早でしょう。 そんな中で今般、この馬に対するデビュー前後の記事や書き込みを見ていたらちょっと気になることがあり、以下に記してみます。

ひとつめは、「超良血」 「注目の大器」 といった見出しばかりが先行している一方で、 前回書いたようなこの馬の配合(近親交配)について論じたコメントがほとんど見つからないということです。 依然として生産界は3×3を避ける傾向があるにもかかわらず、3×4が二重に入るという、3×3と同等の近交係数になりうる配合のルペルカーリアに対して、 そこに言及したコメントはほぼ見ないことが摩訶不思議なのです。

特にメディアの記事では、読者の気を引きたいがために、上述のような見出しばかりを前面に踊らせるのは常ですが、 しかし読み手は、その一側面からだけの単調なリズムにいとも簡単に踊らされてはいないでしょうか?  ネームバリューのある名牝には当然のことながらネームバリューのある種牡馬が交配されるのが常で、 そのような両親から生まれた仔は自動的に 「良血」 というレッテルを貼られるわけですが、しかし、 配合の在り方など無関知(無感知?)に毎度毎度そのようなレッテルが貼られていることに、果たして 「良血」 の定義とはいったい何なのか?……などとも思ってしまうわけで。

以上のようなことから、血統面からの各者のコメントや考察に対して、誠に僭越ながらバランス感覚が欠如していると言いたくもなってくるのです。 ひとつの馬の評価には、当然のことながら、馬体、血統、その他諸々のあらゆる視野からの検討が必要ですが、血統面だけを切り取ってみても、 商業サイトやメディアの論述においては上記のように、或る一方向からしか見ていない狭視野であることが実情です。

そして、ふたつめは、このルペルカーリアは母シーザリオの高齢出産が懸念であるというようなコメントが思ったより多い印象を受けましたが、まだ16歳の時の仔でですよ!  しかし確かに、先日発刊された朝日新聞記者の有吉正徳さんの 『第5コーナー 競馬トリビア集』(三賢社)には過去の日本ダービー馬の母親の出産年齢が書かれており、 全87頭の8割超が母親が12歳以下だったとのこと。 そして、最近は繁殖牝馬の入れ替えも早く、高齢牝馬は淘汰されることが多いらしいという話に、ちょっと哀しい気持ちになってきました……。

繁殖牝馬の適齢期」 や 「高齢の母から生まれた名馬たち」 に書かせて頂いたように、 母親がかなりの高齢でも、元気に生まれてきた仔であれば、その母の年齢に対する懸念は不要と私は考えています。 母親の年齢がどうであろうと、この世に健常に生を受けた 「個体」 は、われわれが想像もできないほど精巧に、そして頑丈にできあがっているのです。 それが 「生き物」 というものの神秘でもあるのです。

バイヤーが近親交配の知識を持たずに3×3もいとわなければ、生産者もいとわなくなるでしょう。 バイヤーに母高齢を懸念する空気が強まれば、生産者も自己の繁殖牝馬をより若齢にシフトせざるを得ないでしょう。 つまり、「強い馬」 や 「健常な馬」 というよりも 「売れる馬」 にばかり意識を集中せざるを得なくなるわけですが、 しかしそのように視野が狭くなってしまうと、思わぬ落とし穴があるような気がしてならないのです。

もしもルペルカーリアの今後の成績が芳しくなかったら、「母が高齢だったから」 「11番目の仔なので下り坂だった」 とかいう根拠のないこじつけもたくさん出てきそうですね。

最後に……。この短い期間に俳優の三浦春馬さん、芦名星さん、竹内結子さんが相次いで自殺し、本当にいたたまれない気持ちになりますが、 2017年の新書大賞を受賞した『言ってはいけない 残酷すぎる真実』(橘玲 新潮新書)の続編である 『もっと言ってはいけない』 には、以下の一節があります:

「日本人のあいだでうつ病が多いことは広く知られており、『うつは日本の風土病』 という精神科医もいる。『真面目』 『几帳面』 『責任感が強い』 『周囲の目を気にする』 『人間関係のトラブルを嫌う』 などの日本人の典型的な性格は、ドイツの精神医学者テレンバッハが提唱したうつの病前性格 『メランコリー親和型』 そのものなのだ。 しかしなぜ、日本人は 『メランコリー親和型』 なのか。そのもっとも説得力のある仮説は、『脳内のセロトニン濃度が生得的に低いから』 だ」

セロトニンの運搬に関する遺伝子には、その運搬能力が高い 「L」 と低い 「S」 があり、われわれは 「LL」 「LS」 「SS」 のいずれかの遺伝子型を持つことになるのですが、 脳内のセロトニン発現量が最も多いのがLL型とのことで、とりわけ日本人はLL型の率が4%と非常に少なく、96%がSの保有者であり、3人に2人がSS型とのことです。

以前から日本の自殺率の高さは社会問題になっており、それに対しては、社会の構造や制度に原因があるとする論調が席巻しますが、 上記のセロトニン運搬遺伝子の話からも、かなりのバイアスがかかってしまった遺伝子プールから成り立つ 「日本人という生物」 という側面からの斬り込みも必須ということであり、 どのような事例に対しても、広い視野に基づく多面的かつ多角的な思考を持つことがいかに大切かということを痛感するのです。

(2020年10月3日記)

求められる多面的・多角的な思考力(その2)」に続く

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