高齢の母から生まれた名馬たち

先月21日、ビワハヤヒデが老衰のために死亡したと聞きました。ナリタタイシン、ウイニングチケットとはクラシックを一冠ずつ分け合ったことを懐かしく思い出します。 ご存じのとおり、1歳下の半弟には三冠馬のナリタブライアンがおり、父親が違えど、兄弟ともに素晴らしい能力を保有していたことにいまさらながら感嘆するとともに、 母パシフィカスの遺伝子の凄さを感じざるを得ないのです。

さらに、パシフィカスの半妹には、ファレノプシス、キズナというこちらも素晴らしき異父きょうだいの母であるキャットクイルがいるわけで、 あらためてこの母系に流れる母性遺伝する因子とはいったい何なのかと思ってしまうわけです。

本コラム欄では 「なぜ特定の牝系から多くの活躍馬が出るのか?」 と題したシリーズ (その1その2その3その4その5その6その7その8 )を書いてきており、 同じことを繰り返すようで恐縮ですが、生涯に10数頭しか産めない牝馬が複数の名馬を産むこと自体がにわかに信じ難いことなのに、それが違う種牡馬を相手に産むということは、 何らかの確かな 「遺伝的要因」 があると考えるのが筋です。しかし、残念ながら、現在の生物学ではその詳細は解明に至っておらず、ミトコンドリアDNAに加えて、 上記の その5 にも書いた生物学者の福岡伸一先生がおっしゃっている 「マターナルRNA」 あたりがキーファクターではないかと私は想像しているのです。

ところで、こちらの 「繁殖牝馬の適齢期」 にも書いたとおり、 歴代の日本ダービー馬で最も高齢の母から生まれてきたのは、ミナミホマレとキズナであり、母20歳時の仔ですが、 母が高齢で出産した歴代の日本の名馬で私が真っ先に思いつくのはトサミドリであり、母フリッパンシーが22歳の時の仔でした。 このトサミドリも半兄に当時種牡馬として活躍馬を多数輩出した大鵬、そして日本競馬史に名を刻む初代三冠馬のセントライトがおり、全て父親が違います。

ここで、我が母系樹形図を眺めてみると、ちょっと興味深い箇所が2つありました。

1つめが、2-d 族中の こちら に矢印で示した Northern Dancer の母 Natalma の系統です。 我が樹形図は2001年以降生まれのGI馬を加筆しているので、当然ながら Northern Dancer の名は載せていませんが、 このような世界的名馬を産む牝馬の系統ですから、一定の繁栄を見せています。 バゴのようなお馴染みの名前も見えますが、その中で留意したいのが、ご覧のように Natalma が24歳になって産んだ Born a Lady という牝馬のラインからも後年、 GI馬が輩出されているのです(豪州GIクイーンオブザターフSを勝った Amanpour)。 Northern Dancer は Natalma の初仔であり4歳時の出産であったので、実に 20 年に渡る繁殖生活により、その優れた血を後世に伝えた偉大なる母と言えます。

2つめが、2-s 族中の こちら に矢印で示した米国の偉大なる三冠馬 Secretariat の母 Somethingroyal の系統です。 ちなみにご覧のとおり、ロードカナロアもこの母系です。 Secretariat は母 Somethingroyal が18歳時に出産した第13仔でしたが、さらに、Somethingroyal が24歳時に産んだなんと17番目の仔である Queen's Colours という牝馬のラインからも、後年GI馬が出ています(豪州GIマニカトステークス等を勝った Typhoon Zed)。

これらのことから、ふと思うのです。交配相手も選ばず、複数の名馬を産むような名牝は、「母」 としての確かな肉体的能力を備えており、 高齢になろうが素晴らしい仔を産み続けるのではないか……と。

13-c 族の1983年生まれの Darara という愛国産の牝馬が 20 歳を超えた高齢時に産んだ2頭がGIを勝っています。 2005年生まれの牝馬の Dar Re Mi と2007年生まれの牡馬の Rewilding ですが、 父親も性別も違う高齢出産で生まれたこの2頭が、ともにドバイシーマクラシックを勝っていることに非常に奥深いものを感じてしまいます。 さらに、この Darara はこの2頭を産む前に、Darazari(牡 1993年生)と River Dancer (旧名Diaghilev:セン1999年生)という2頭のGI馬を既に産んでいるのです。 いま一度、このような例から何を読み解けばいいのでしょうか?

拙著 『サラブレッドの血筋』 の第3版のサブタイトルは 「偉大なる母の力」 です。

(2020年8月2日記)

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