執筆の途中経過(その1)

前回 の最後に、新書の執筆依頼を受けている旨を書きました。 というわけで、そちらを優先しているため、我がウェブサイトのコラム加筆もほぼ1ヶ月ぶりとなってしまいました。 その間には、札幌記念ではソダシとハヤヤッコという白毛のいとこ同士の対決があるということで、 こちら のとおり、スポーツ報知の取材を受けたりということもありました (ネット版は こちら)。

あらためて、現在とりかかっている原稿ですが、「遺伝のしくみ」「近親交配」「母性遺伝」「エピジェネティクス」「疑似科学」「遺伝的多様性の低下」 などのキーワードをベースに、おのおのの章(カテゴリー)に分けながら、普段は生物学にはあまり接点のない方にも受け入れてもらえるように、 難しい生物学用語はできる限り使わないようにして書き続けています。

ところで、しつこいまでに別稿では「血統」と「遺伝」は表裏一体で切り離せない関係である旨は書いてきましたが、 いまあらためて競馬サークル内の現状を眺めながら原稿を書いていると、遺伝という生命現象が忘れ去られた血統言説があまりに多いことを思い知らされます。 このことからも「疑似科学」に対しては、現在書いている原稿ではそこそこ斬り込むつもりです。

今般の執筆にあたっては、参考になる文献を徹底的に洗い出しました。 その中であらためて思ったのは、生物学を含む科学とはまさしく日進月歩であり、昨日まで正しいと言われてきたことは、 今日の新しい発見により上書きされることの繰り返しであるということです。

例えば、その参考文献の中に 『アメリカ版 大学生物学の教科書』(講談社ブルーバックス)があるのですが、 新版は昨年出たものの、2010年に出た旧版をマイナーチェンジした改訂版にすぎないと勝手に思い込んでしまい、購入していなかったのです。 が、書店で見てみると、例えば「ゲノム」に関する記載が全く違い、ネットでも新旧では段違いとの こちら の情報があり、早速第1巻(細胞生物学)、第2巻(分子遺伝学)、第3巻(生化学・分子生物学)を買いそろえることとなりました。

つくづく思うのは、科学的にもきちんと掘り下げた原稿を書こうと思った場合、このように少なからぬ投資を要するということです。 今回の参考文献に『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』(松永和紀 光文社新書)という本もあるのですが、 その中に、「科学記事をまともに書こうとすると、経費はどうなるのでしょう。学術論文をウェブサイトからダウンロードする場合、 よくある値付けは1つの論文が30ドル。いくつかの論文を集めて読むと、やはり断片的な情報をつなぐために専門書を読みたくなります。 運よく日本人研究者による解説書がある場合でも3000円は下らず、どうかすると8000円、1万円となります。 さらに、科学者や企業、生産者などを訪ねると、これまた経費がかかります」とありますが、大きくうなずいてしまいました。

私自身、書店で生物学関連の書物を漁る際には、まず発行年を気にします。 上述のとおり、日進月歩の科学であるがゆえに、古い書物の記述には、現在では価値を失っている箇所も少なくないからです。

今般の原稿では「競馬ジャーナリズムの在り方」のようなことも後段で書きたいと思っています(編集者との相談事項ではありますが)。 少なくとも、表裏一体であるはずの「血統」と「遺伝」が別個になっている言説があふれる現在の競馬サークルに一石を投じるつもりです。 そういう意味では、懇意にしている競馬関係者にも苦々しく思われてしまうような記述は間違いなくあるはずです。 しかし、「我がレゾンデートル」(その1)(その2) にも書いたとおり、 科学的にも中立であるならば、迎合も忖度(そんたく)もしてはならないと、いま一度自らに言い聞かせたところです。

(2022年9月12日記)

執筆の途中経過(その2)」に続く

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