我が愛しき野口英世

まず最初に断っておきますが、私は野口英世という人物が大好きです。それは科学者としてではなく、その人間臭さに対してです。 そのことは「千円札の肖像」や「先人から学ぶべきもの」に書いたとおりです。 というわけで、あらためてふらりと、猪苗代の「野口英世記念館」、会津若松の「野口英世青春館」に行ってきました。

会津若松の青春館の方は、英世が左手の大やけどの手術を受けた医院であって、医師を目指して勉学に励んだ場所であり、その建物がそのまま今に残されています。 一方で猪苗代の記念館の方は、本当に立派な近代的な施設で、ハイテクを駆使したエンタメ的なコーナーもあり、猪苗代町の観光資源としてはまさしく大黒柱なのでしょう。

ところで、野口英世の旧名が野口清作であることを皆さんはご存知ですか? なぜ「英世」に改名したのでしょうか?  その理由など記念館のどこにも書かれていませんが、実は以下のような理由なのです。

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 野口清作は、坪内逍遥の『当世書生気質』という小説をたまたま読んだところ、その中に「野々口精作」という人物が出てきた。 この人物は医学書生で秀才の誉れ高く、故郷の期待を一身に受けて上京するものの、酒と女に身をもち崩し、遊蕩三昧の生活に溺れる。 あまりに自分の名前と似ており、さらには酒と女に溺れるところまでソックリである。 当時の清作は、勤務先の北里研究所の待遇に嫌気がさし、借金を重ねては遊郭に通っており、自分がモデルに書かれたのかと驚いた。
 このことから、清作の真面目な少年時代しか知らない故郷の恩師に改名の相談を持ちかけたところ、恩師は「英世」という名を提案した。 清作もこれが気に入り、早速役場に改名希望を申し出たが、小説に出てきた主人公と同じという理由では受理できないと拒否された。
 そこで奇策を思いつく。役場の改名の条件に、村に同じ名前の者が2人いる場合は変えられるというのがあった。郵便配達などでわずらわしいからである。 これに目をつけた清作は、同じ村の他の野口家に男子が生まれたと聞くと、早速その両親に「清作」と名付けるように勧めた。 その両親は、勉学に励んで村でただ1人の医師となった者に勧められたことに悪い気はせず、新しい「野口清作」が誕生した。
 これを理由に元祖野口清作はあらためて役場に改名を申し出て受理され、晴れて「野口英世」が誕生した。

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以上は、渡辺淳一の『遠き落日』の「第一章 猪苗代」に書かれていたことを端的にまとめたものです。 「千円札の肖像」に書いたことを繰り返すようですが、猪苗代の記念館は、 英世に対するネガティブな展示や説明など物の見事に一切なく、究極の偶像崇拝状態です。当然に上記の逸話などどこにも書かれていません。 また、英世は朝から酒浸りでほとんど仕事をしない父親の佐代助を煙たく思っていたようですが、この記念館にある英世の生家の展示施設内に流れる録音の説明では、 「お酒が好きで、のんきな人でした」といった具合です。まあこれは間違いではありませんが。

今回、この話をコラムに書いたのは、一昨日と昨日に猪苗代と会津若松の英世の施設を再訪したと同時に、 ちょうど元調教師の藤沢和雄氏の『これからの競馬の話をしよう』(小学館新書)を会津若松のホテルで読み終え、そこに興味深いくだりがあったからなのです。

この本の中に、シンボリルドルフやメジロマックイーンの父系祖先はバイアリータークであるなどの話を持ち出し、 「つまりサラブレッドは300年前まで、父系に関してはハッキリ分かっている。『どこの馬の骨か分からない』ということはないのだ」と書かれているのですが、 「完全な血統書など存在しない(その2)」にも書いたように、どこの馬の骨だか分からないのがあるのです。 サラブレッドの親仔確認のためにDNA鑑定がきちんと行われるようになったのは最近の話で、我が国ではたかだか今世紀からであり、 それこそこのような鑑定が必要に迫られたことが、それ以前には怪しい例がたくさんあったという証しです。 しかし、名伯楽でさえもこのように信じきっていることに、一旦「事実」として確定してしまったものはあまりに強固で揺るぎがないという現実を痛感したのです。

強固で揺るぎがないということでは、偶像化したものに対しても同様であり、これは「我がレゾンデートル(その2)」にも書きました。 猪苗代の野口英世記念館には社会科見学だかで小学生もたくさん詰めかけていましたが、第三者的に「事実」を追求する観点で眺めた場合、 私の気持ちとして、子どもたちに対しても果たしてこれでいいのかと思ってしまったのです。 もう少し、人間臭い泥臭い英世の生の姿の説明もあったらいいのにな、と。

大やけどを負い、貧困に立ち向かい、寝食を忘れて研究に没頭した姿などはおおいに見習ってもらいたい。 その一方で、異論は排除してしまうような研究姿勢など反面教師たる部分も少なからずあり、 そのような真の英世の姿ももう少し描いて展示してほしい、と思っても、ないものねだりなのでしょうね。もはや無理なのでしょう。 なにせ、国が紙幣の肖像にまでしてしまったのですから……。

なにかまた英世のあらさがしをしてしまったようですが、私は本当に英世に惹かれるからこそ、またも猪苗代、そして会津若松まで行ってきたことはご理解下さい(笑)。 父親が酒浸りで家計が大変だったという点でも私と共通点があることに、どうも無意識に親近感を覚えてしまうのかもしれません。

ちなみに、会津若松の青春館の1階はカフェ「会津壹番館」ですが、ここの雰囲気は本当に素晴らしい(昨日訪問時の画像は こちら。許可をもらい撮影しました)。 この2階が展示室となっているのですが、そこには英世の生涯を赤裸々に綴った渡辺淳一の『遠き落日』も置いてありました。 まあ、ここでこれをじっくりと読む人などいないでしょうけど。

最後に、渡辺淳一のエッセイ集『公園通りの午後』の「消えた業績」にある一節を引用します。

「野口英世の実像はもっと人間的でなまなましい。世間的な常識からいえば、いいところもあったし、悪いところもあった。 そしてそれ以上に、大きな仕事をするエネルギーと才能があった。 たとえ、伝記上の人物として、問題になる部分を書き出したからといって、英世の魅力は少しも薄れはしない。 私が彼を小説に書く気になったのは、むしろその人間くさい魅力にひきずられ、共感を覚えたからである」

(2022年11月14日記)

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