先人から学ぶべきもの

一昨日のNHKのBSプレミアム「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿」 は「科学者 野口英世」でしたが、とても面白かったです。番宣の見出しは以下です。

「科学史の闇に迫る知的エンターテインメント。今回取り上げるのは、日本人の誰もが知る偉人・野口英世。福島県の貧しい農家に生まれ幼少期の事故で左手が不自由になりながら、 医師となり、単身渡米して研究医に。黄熱病や梅毒の研究でノーベル賞の候補にも挙げられた細菌学のスーパースターのひとりだ。 しかし現在では、その研究の多くが誤りだったことがわかっている。なぜ野口は間違ったのか? 科学者・野口英世の欲望の物語」

今日の医学に対する野口の科学的貢献はほとんどないことは こちら にも書きましたが、 番組では、こちらこちら で紹介させて頂いた神戸大学教授の岩田健太郎氏と、 医師で科学ジャーナリストの榎木英介氏がコメンテーターとして、科学者・野口英世の業績や人物像を検証していきました。 そんな野口の生きざまをあらためて眺めると、われわれの身近な物事にも当てはまることが多々あると感じてしまったのです。

岩田氏と榎木氏がおっしゃっていた中で、留意すべきと思った部分を以下に記してみます。

岩田氏のコメントから

@野口は自分の仮説が正しいと信じた。そういうときは往々にして自分が見たいものは見て、見たくないものは無視、矮小化、無かったことにしがちになる。 研究者は二人の自分を持っていないといけない。「自分はこう思う」と主張する自分と、「おまえそれでいいのか?」と言う自分である。野口には後者が不在だった。

A当時の野口は世界的なスーパースターであったため、周りは野口に間違っていると言いづらくなる。野口も間違いだと認めにくくなる。

B「医学の歴史」の教科書には野口の名前はない。野口英世は医学の歴史上の人物ではない。あくまで「その生い立ちから立身出世に関する物語」の人物である。

榎木氏のコメントから

@野口は他人の批判を無視し、疑問に答えなかった。もうちょっと調べてみなさいという指摘を無視し、同じことを繰り返してしまった。

A相互批判が研究不正や問題行為を防ぐのには非常に重要で、上司部下関係なく批判できる環境がある国は研究不正が少ないというデータがある。 野口は誰も何も言えない状況をつくって、相互批判どころではなくなってしまった。

B自己の仮説に都合の良いデータだけをピックアップして論文を作る者がいまだにおり、 100年前に野口がしてしまったことを今日の研究者がいまだに似たようなことをしていることは非常に恥ずべきこと。 現代に生きるわれわれは野口から何を得るかということが重要であり、この教訓を得ることが野口に対するリスペクトである。

私は別稿では繰り返し、疑似科学的な血統論の問題について指摘してきました。 拙著『サラブレッドの血筋』の第2版や こちら では「Xファクター」の非科学性について論じましたし、 また現在準備中の第3版では、世界的にも著名な「ド・サージュ理論」について、 近年では内容が修正されアップデートされたと言っても依然として疑似科学からは全く抜け出せていないということを書かせて頂きました。

どんな血統論でも、これらは全て広い意味で科学論文と言えます。 そうすると上述のような血統論には、例えば岩田氏の@や榎木氏のBのコメントあたりが厳しく突き刺さるわけです。 また、岩田氏のA、榎木氏のAの各コメントは、こちら のように大御所には何も言えない事例がそのまま当てはまってしまうのかもしれませんね……。

福島の猪苗代湖畔には非常に立派で瀟洒な野口英世記念館があります。 5年前に訪問した際、ホルマリン漬けの毒蛇が展示されていたので職員に「あれは実際に英世が研究に使っていた蛇ですか?」と尋ねたところ、 英世の研究室があった米国から送られてきた実物とのことでした。

一方でこの記念館には、今回の番組で取り上げられたような事実に関する資料や記述は見事なまでに一切ありません。 従ってこれは、上記の榎木氏のBで指摘されている「都合の良いデータだけをピックアップ」に該当しないか???……と、へそ曲がりな私は思ってしまったわけで。

まあ、そこまで突っ込むとあまりに無粋であり、それはそれで良いとは思うのですが、しかし例えば、 この記念館で「科学者・野口英世」に感銘を受けた子供がのちに上述のような事実を知った際、ショックを受けないだろうか? とも思ってしまうのです。

……が、それもそれで良いのかもしれませんね。世の中は、このようにきれいな部分だけを見せようとする狡猾さに満ちていると悟ることも生きていくうえで非常に大切なことであり、 そこから、全ての物事に対して多面的・多角的な思考を持たねばならないと気づき、立派な大人に成長していくかもしれないわけですから……。

(2021年1月30日記)

戻る