音楽と生命
先月発売された『音楽と生命』(集英社)は、先月亡くなった音楽家の坂本龍一さんと生物学者の福岡伸一さんの対談集です。
今回はこの本にあるおふたりの言葉のうち、自分なりに書き留めておきたいことを備忘録のごとく以下に記しておきたいと思います。
なお、以下、坂本さんを「教授」、福岡さんを「先生」と呼びます。
まず前段で先生は、「ロゴスとは、言語、論理、アルゴリズムなど人間の脳が作り出したイデア(※)とのことであり、
これに対するのがピュシス、つまり自然です」と述べており、おふたりの対談は、このロゴスとピュシスが重要な論点となっています。
(※)観念、理念
教授は、「科学は、何度繰り返しても同じ結果が得られる、つまり再現性というところに価値を置くものですけれども、音楽はそれとは反対です」と述べています。
これに対して先生は、「実際のところ、再現性がないといけないと言われる科学においても、一回性と再現性のせめぎ合いがあります」と述べ、
「生物学の実験では生き物という生ものを相手にしますから、現実には毎回少しずつ違うことが起きているんです。
科学では、それを近似的に再現性があるというふうにみなしているわけですね」と説明されています。
つまり、ここに「音楽」と「生命」には何か共通点がある、ということが見えてくるわけです。
教授が昔、アマゾンの密林の上を飛行機で飛んだ時の話は興味深いものがありました。
「ギザギザがあふれている中に、時々、パッとまっすぐな線が見えるんです。何かと思ったら、すべて人間が引いたもので、道や区切られた畑でした。
直線のあるところに人間がいて、そこで農業や牧畜をやっている、ああ、人間はこうやって自然を破壊していくのかというのを見たような気がしました」と語っていました。
さらに教授は、「これは人間の脳の特性としか言いようがないのかもしれませんが、我々には、ランダムには耐えられないというところがあります。
何か意味がある情報を受け取ろうとする、見ようとする、あるいは聞き取ろうとする。そういうところが、人間にはやみがたくありますよね」と述べていますが、
これは、「科学的啓発の必要性(その3)」や「ネガティブ・ケイパビリティ」
に書いたこととも相通ずる話だと思っています。
一方で先生は、「機械の時間は、一見、連なっているように思えるけれども、それはパラパラ漫画が動画に見えるというような、ある種の幻影を与えているだけなんですね。
なぜなら、点をどれだけ集めたとしても、それがつながることはないわけですから」と述べています。
そして先生は、「シンギュラリティが起こってAIが世界を支配するというような言説も、そういうロゴス的思考からきているのだと思います」とおっしゃっていますが、
まさしくこれは「デジタル思考の弊害」に書いたとおり、以前先生に直接お会いした際にお聞きした話でもあり、
間もなく上梓予定の拙著にもこの話は盛り込みました。
教授は、「AIは正解は一つしかないと判断しますが、一つの正解だけあってあとは間違いというのは、音楽にもアートにもそれから生命にもありません。
常に間違いを繰り返しつつ、進んでいるのが、生命ですよね」と述べていますが、教授の生き物に関する造詣の深さに頭が下がります。
おふたりは、「楽譜」と「遺伝子」の共通性についても対話されています。
先生は「なぜ、楽譜の起源についてお聞きしたかと言うと、楽譜と遺伝子には何らかの対応関係があると思うんです。
つまり、楽譜は、音そのものではないし、どこまでいっても音楽ではないですよね」と言っており、さらに、
「楽譜も遺伝子も、単に記述されたものであるにすぎないということですね。 (中略) でも、私たちは楽譜が音楽だと思い、
遺伝子を生命そのもののように捉えてしまって、記述されたものは実際とは別ものだということを忘れがちです」と言っています。
これに対して教授は、「20世紀には、五線譜だともう粗過ぎると、幾何学で使うような方眼紙に緻密に楽譜を書いていくという人も出てきたほどです。
曖昧性が入ってくるということがダメだというので、西洋音楽でもすべて数字だけで指定する楽譜を書く作曲家もいるんですよ」と述べています。
そして先生は、「まったく同じ『楽譜』を持っている一卵性双生児も、まるで違う人格になるわけですし」とおっしゃっていたのですが、
「「遺伝」とはアナログな現象である」に書いたとおり、
遺伝性が強いとされる病気に一卵性双生児の一方のみがかかることがあるわけで、
これこそ保有する遺伝子のスイッチをオンにしたりオフにしたりする作用(=エピジェネティクス)なのです。
以上から、音楽も生命も、デジタルな思考で捉えることは不可能であることを再認識させられます。ファジーでアナログであまりにも奥深い……。
最後に、教授の生命科学に関する造詣の深さを物語る、あまりに含蓄に富む一節を以下に引用します。
「そして僕が死んだとき、僕の体は地に還って微生物などに分解され、次の世代の生物の一部となって『再生』することでしょう。
この循環は、生命が誕生してから何十億年と続いてきましたし、これからも続いていくはずです。
僕という生命現象は、そうした気の遠くなるような循環の一過程なのだと捉えています」
(2023年4月15日記)
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