たまたま
イクイノックスを世界ランキング1位に浮上させたドバイシーマクラシックのノーステッキでの圧勝もまだ記憶に新しい中での過日の皐月賞。
中山開催最終日の重馬場ゆえにインコースはかなり荒れており、1枠1番からのスタートにメリットは見出せなかった状況下、道中は後方待機に徹し、
直線のみで一気に差し切ったソールオリエンスには度肝を抜かれました。
言わずもがなですが、これらの父はキタサンブラック。北島三郎氏がこの馬を見初めなかったならば、即座に庭先取引をしなかったならば、
さらには清水厩舎に入らなかったならば、もしかしたら年度代表馬に2度も輝くことはなかったかもしれません。
それ以前に、ヤナガワ牧場がシュガーハートにブラックタイドを選んだ理由は、
ディープインパクトに比べてその全兄の種付料ははるかに安かったからだと勝手に想像していますが、この選択も偶然のひとつであり、
つまりこれら偶然が重ならなければ、ブラックタイドの父系などはまったく存在しなかったかもしれません。
『たまたま ― 日常に潜む「偶然」を科学する』(レナード・ムロディナウ著 田中三彦訳 ダイヤモンド社)という本があります。
この本には、われわれの周りにある偶然が、そこにあたかも意義があるかのごとく虚飾が施されていくことなどが興味深く書かれており、
以下のくだりには唸るものがありました。
「われわれが世の中のランダムネスの作用に気づかないのは、この世を評価するとき、われわれは見えると期待しているものを見ようとするからだ。
われわれは基本的に成功の程度で才能の程度を定め、その関係を強調することで、われわれが抱いている因果的な見解を強化している。
だから、異常なほど売れている人間と売れていない人間とのあいだにほとんど能力差がないことはままあっても、両者に対する見方にはたいてい大きな違いがある 」
ビル・ゲイツにしても、偶然が重ならなかったら世界一の富豪ではなくただの一ソフトウェア起業家にすぎなかったかもしれないとのこと。
各種牡馬における極端なまでの種付料の違いなど、これの典型かもしれず、
まさしく(特にキタサンブラックが現れる前の)ブラックタイドとディープインパクトという全兄弟にも当てはまりそうです。
つまり、イクイノックスやソールオリエンスという馬の出現、これにより、ブラックタイドからの父系ラインが伸びるかもしれないということ、そして、
「世界ランキング1位」および「豪快な皐月賞の直線一気」は、すべて「たまたま」の賜物(←韻を踏んでます!)なのです。
現時点で日本における種付料最高のエピファネイアにしても、父はシンボリクリスエス、その父は Kris S.であるのに、
クリスエス系、シンボリクリスエス系などという言葉はほとんど耳にすることはないですし、
サンデーサイレンスの大成功にしても、ヘイロー系などという言葉はほとんど聞きません。
これらのことからあらためて思うのは、血統による馬の能力を論じる際に、「……系」という概念を最前面に打ち出す言説の基盤は脆弱(ぜいじゃく)だということです。
「父」と「父系」は分けて考える必要がある旨は、「牝馬はY染色体を持たない」に書きました。
私は、母性遺伝をするミトコンドリアの遺伝子等から母系の重要性を説いてはいますが、繁栄している母系にしても、
たまたまその母系から活躍馬が多く出たという偶然があることは否めないわけです。
その「たまたま」の度合が、母系においては相対的に低いというのが私の考えですが、当然にこれはどこまで行っても仮説の域を脱することはできません。
「「絶対」「必ず」という言葉の値崩れ」にも書いたように、科学には絶対はなく、断言などできないからです。
このようなことからも「たまたま」の威力を軽く見てはいけません。その意味では、「絶対」「必ず」という言葉の浅薄さも浮かび上がってくるわけです。
ちなみに、脱稿した拙著(※)の第6章は「科学と血統理論」なのですが、その中の「たまたま」と題した小見出しで始まる項目は上記の本を引用しました。
その小見出しに続く最初の行に、「右の小見出しは、サザエさんが愛猫を呼び出しているのではありません」
とちゃらけた言葉を初稿で書いたのですが、校正で削除されてしまいました……(笑)。
最後に、「たまたま」の話からはちょっと逸れますが、全兄弟たるブラックタイドとディープインパクトについて一言。
皐月賞で1番人気になったファントムシーフの配合を例に挙げながら「バイアスのかかった遺伝子プール(その4)」や
「競馬ジャーナリズム」で指摘したたような、
全きょうだい同士を一卵性双生児(遺伝子一致率100%)と見なしてしまうような言説を信じる前に、
これら2頭の競走成績や種付料がなぜあそこまで違ったのだろうか?……とも思ってみていただきたいのです。
(※)来月23日に発売予定です。タイトルを含めた詳細は追って連絡します。
(2023年4月27日記)
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