日英のダービーを観終えて

先月 28 日の日本ダービーは1コーナーで観戦していました。向こう正面の流れにちょっとスローだなと思いながら、 ゴール前までの現地空気の興奮を味わうことができて、やっぱりダービーの雰囲気は格別だ、今年も来てよかった、と思ったのも束の間、スキルヴィングのあの悲劇……。 まさしく私がいた1コーナーで起きた事故であり、あの大きな黒光りした馬体が目の前に横たわり、当初は腹部が激しく上下する荒々しい呼吸が目視できたものの、 それが急にぱったりと止まりました。こうなるとダービーの雰囲気を楽しむ気分には全くなれなくなり、足早に府中本町の駅に向かい、南武線に乗り込みました。

昨日届いたキャロットクラブの会報『ECLIPSE』の6月号。 その表紙を開くと、そこには「最高の舞台へ」との文字が付されたスキルヴィングの青葉賞優勝の写真が大きく掲載されていたことには、あらためて胸がつまりました。

どこまでこれを「悲劇」として大きく取り上げるべきかは正直なところ分かりません。 ダービーという大舞台での出来事ゆえの大きな報道でしたが、それ以外のレースやトレセン、生産地などでは当然に多種多様な悲劇があるわけです。 一昨日の英ダービーにおいては、動物愛護団体の過激派がエプソム競馬場にかなり押し寄せたようですが、競走馬は産業動物であることからも、 善悪や功罪についての結論を単純に出せるわけもなく、よって、これに関する話は今回はとりあえずここまでにします。

あらためて我が国のダービーですが、勝ったのはサトノクラウンの初年度産駒たるタスティエーラでした。 ところで、私が今世紀生まれの世界のGI馬を網羅した母系樹形図を作成していることはご存じのとおりですが、 こちら はそのサトノクラウンの部分です。 我が樹形図は今世紀生まれのGI馬に下線を付しており、つまり、ご覧のように全姉のライトニングパールもGI馬(英チヴァリーパークSの勝馬)ということです。 また、違う種牡馬を相手に複数のGI馬を産んだ牝馬を太字にしており、よって、 これらの母であるジョコンダは太字にはしていませんが、別稿では私は何度も書いてきたように(例えば こちら)、 繁殖牝馬が生涯に産める数はせいぜい 10 数回であることを鑑みると、複数のGI馬を産むこと自体が尋常ではないのです。

つまり、サトノクラウンの母方の血は優秀であるということであり、初年度産駒からダービー馬を出したことからも、 「名牝を母に持つ名種牡馬(その1)」に書いた話をちょっと気に留めておいてくださればと思うのです。 なおこの話は、先月末に発売された拙著『競馬サイエンス 生物学・遺伝学に基づくサラブレッドの血統入門』(星海社新書)の第7章中の 「仮説(その2)……名牝を母に持つ名種牡馬」の部分でも書きました。

サトノクラウンはサンデーサイレンスの血を持たないので、集めうる繁殖牝馬の幅は広いはずです。 加えて、上記のとおり母方の血が魅力的であるにもかかわらず、タスティエーラを出した 2019 年の種付料は 100 万円、 今年でさえ 150 万円とはちょっと意外であり、かなりのお買い得だったのではないでしょうか。 世の中のあらゆる分野の「消費者」は、安価なものには価値が薄いとついつい錯覚しがちですが、その典型だったのかもしれません。 いずれにしても、今後要注目の種牡馬と言えるでしょう。

そして一昨日の英ダービー。ご存じのとおり、ディープインパクト産駒の Auguste Rodin が勝ったことから、一部ではお祭り騒ぎの様子です。 こちら は、上記拙著の第4章「母性遺伝」中の「ディープインパクト産駒のGI馬の母系」と題した小見出しで始まる部分に挿入した表です。 昨年末までのGIに勝ったディープ産駒の近親にどれだけGI馬がいるかを示したものであり、最下段に Auguste Rodin の名があります。 これは、「天下無敵のブランド(その2)」の中の「表(※1)」でもあります(←4月の天皇賞に勝ったジャスティンパレスを追記)。 ちなみに、母も祖母もGI馬(表で〇が付いたもの)は Auguste Rodin のみであり、こちら は我が樹形図のこの馬の部分ですが、 ご覧のとおり、周囲は下線だらけです。というわけで、私が何を言いたいのかはもうお分かりと思いますので、ここから先は割愛しますね。

ところで、日本がサンデーサイレンスの血であふれているように、欧州は Galileo の血であふれています。 この問題を本コラム欄で「Galileo の血に埋没する欧州」と題したものを書いたのは既に3年半も前であり、 同名の小見出しで、上記拙著の第3章「失われる遺伝的多様性」にもこの問題を書きました。 そこで、一昨日の英ダービーの出走14頭における Galileo の血の持ち具合をちょっと調べてみたのです。結果は以下です。

 仔 1
 孫 10
 曽孫 1

残りの2頭中1頭は Galileo の父たる Sadler's Wells の3×4、Sadler's Wells の血を持たないのは1頭(米国産)のみでした。 というわけで、これも私が何を言いたいのかはお分かりと思いますので、ここから先も割愛します。

以上のようなことから、今年の日英ダービーには論ずる点がいろいろとあったな……としみじみと思ったところです。

(2023年6月5日記)

世界で「10数頭」しかいないディープインパクトのラストクロップから、本場のダービーを勝った馬が出たことは間違いなく賞賛に値します。 これに関する絶賛記事はいくつも見ましたし、確かにディープは優れた種牡馬ではあるでしょう。 その一方で、繰り返すようで恐縮ですが、生涯に「10数頭」しか産めない繁殖牝馬ながら「複数の」GI馬を産む馬があまりに多いことなどを、いま一度確認頂きたいのです。 つまり、冷静に見れば、母系(牝系)というものにおいて「何か」を感じるはずなのです。

(2023年6月7日追記)


戻る