バイアスのかかった遺伝子プール(その7)
今回は、ちょうど1年前に書いた「バイアスのかかった遺伝子プール(その6)」の続編とします。
過日上梓した拙著『競馬サイエンス 生物学・遺伝学に基づくサラブレッドの血統入門』の第2章「近親交配(インブリーディング)」の最後の小見出しは、
「純血種という病」としました。お読みいただいた方はおわかりのとおりですが、これは、
近親交配に歯止めがかからなくなっている犬のブリーディングにおける闇を報告した同名の書物
(こちら)のタイトルであり、
この書物中の記述を拙著ではいくつか引用させていただき、サラブレッドのブリーディングも同様の状況に近づきつつあるのではないかと警鐘を鳴らしました。
ちなみにこの書物の話は、本コラム欄ではすでに4年前に取り上げています(こちら)。
1世紀前、イギリスを中心に大繁栄したSt. Simon(セントサイモン)の血ながら、ある時点から急激に衰退したのは俗に言われる「セントサイモンの悲劇」ですが、
これはこの馬の血の飽和、つまりあふれかえった近親交配によるものというのが定説となっています。
ここでちょっと考えてみていただきたいのですが、これは、当時の血の飽和の根源となる種牡馬は、セントサイモンだとすぐに特定できたことを意味します。
言い換えれば、セントサイモンの血以外の血は非常に多様だったということです。
そしてその1世紀後の我が国に目を転じてみましょう。
拙著の第3章「失われる遺伝的多様性」の 106 ページに書いたことですが、サンデーサイレンスのみならず、キングカメハメハ、ディープインパクト、
ハーツクライ、ロードカナロアなどのインクロスを包含した個体の急増も今後は予想されることから、あふれる近親交配に付随して惹起しうる「〇〇の悲劇」
の〇〇に入れる固有名詞は特定不能となり、悲劇が始まってもいつ始まったかさえわからないということが予想されるわけです。
これは、拙著の第3章「失われる遺伝的多様性」の 98 ページで紹介した論文が指摘していた、この 50 年間で近親交配が激増した話や、
118 ページに図も挿入した「ボトルネック効果」(こちら)の行き着く果てです。
先日、ネットで拙著の書評を見かけたのですが、「サラブレッド」という定義自体が類縁の血を守っていくという前提なので、
遺伝的多様性という観点でのパラドックス(逆説)的な異議がどこまで通用するかは未知数とありました。確かにそのような観点は有用ですね。
けれども、それはパラドックスではないと思います。サラブレッドという種が限られた血筋を徹底的に守り抜いたうえでのものであるからこそ、
多様性の維持の視点は抜け落ちてはならないのです。
その視点から目をそらし続ければ、その血筋は守れなくなり、上述のような犬のブリーディングの現状に近づいてしまうわけです。
私は、現在の競馬サークルに一石を投じるどころか、巨大な岩を放り込むつもりで拙著(特にその第2章と第3章)を書き下ろしました。
しかし今後もサークル内の反応が鈍ければ、さらに岩を放り続けるつもりです。それだけ危機感を募らせているのです。
健全な競馬文化を絶やしてはならないと、生物学(遺伝学)的な視点から自分なりにできることをしていくつもりです。
ところで、前回、卒業以来まったく連絡を取っていなかった動物病院を開業している大学同期から連絡があったことを書きましたが、
その同期の院長から、保護犬の取引に関する聞き捨てならない話を聞きました。
盲目、心臓の異形、指の欠落、激しいオーバーショット(噛み合わせ異常)などの奇形の仔の取引に関する話であり、
これは近親交配と密接に関連している話だと直感しました。
世間における動物愛護の議論はいい意味で活発化しているとは思いますが、
奇形発症率を下げるためには過度の近親交配を避けねばならないという声は、あまり耳に入ってこないのが実際です。
その発症率を下げることこそ、ごくごく初歩的な動物愛護行為だと考えます。
ついては、近いうち、学生時代の思い出話をする目的はそこそこに、この話の詳細を取材するために菓子折り片手に病院を訪問しようと思っているところであり、
有意義な話が聞けたなら、その話を本コラム欄に書きたいと思います。
(2023年7月9日記)
「バイアスのかかった遺伝子プール(その8)」に続く
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