メディアの使命

ジャニー喜多川の性加害問題について、3日前に事務所の記者会見が行われ、なんとNHKの地上波でも生放送されたことはご存じのとおりですが、 葬られかけていたこの問題が表面化したきっかけは、英国BBCによる報道です。 よって、海外メディアたるBBCが動かなかったら、依然この問題は表面化しなかった恐れがあるということです。

言葉を換えれば、この問題について、日本の大手メディアの責任もあまりに大きいということです。 どこかの雛形をベースにしたかのような通り一遍の文言を用いて、ようやくメディア各社は自分たちにも非があった旨のコメントを発信し始めていますが、 日本のテレビ局や主要新聞のトップが雁首そろえて、いままでなぜこの問題についてだんまりを決め込んできたかを説明する「第2の記者会見」 をやってほしいなどとついつい思ってしまいます。そして、今朝のTBS系『サンデーモーニング』で、会見における井ノ原快彦さんの 「得体の知れない触れてはいけない空気があった」という言葉を受けて、ジャーナリストの青木理氏が以下の旨を発言していました。

「触れてはいけない得体の知れない空気みたいなものに、われわれメディアも完全に呑まれていたのではないですかということですよね。 これってね、こと芸能報道とかジャニーズ事務所だけの問題なんでしょうかと。例えば、かつての一強政権下でいろんなキャスターの方が辞めた。 そういうのも忖度とか萎縮とかみたいなものと無縁ではなかったんじゃないでしょうか」

さらに青木氏は、日本の報道の自由度ランキングは70位との話に絡めて、メディア全体をもう一度見つめ直す機会にもしなければならないとの指摘でしたが、 特に中高年はネットに疎い面々も多いはずであり、私の親戚を眺めてみても、一般のテレビや新聞が報ずる内容がすべてと思い込んでいるような者が残念ながらいます。 つまりメディアが、自らの目先の利益に影響する方面に迎合や忖度をした結果として、中立で的確に斬り込んだ報道をしなかった場合、 それが一般市民が本来は知るべき重要情報だったとしても伝わらないという現実があるのです。

そこでです。我が競馬界のメディアはどうでしょうか?  いろいろと当てはまることが瞬時に脳裡をかすめるのですが、4年前、「競馬界における「優越的地位の濫用」」 にはこれに関連するような話を書きました。 「この業界は、JRAと社台グループの顔色を常に窺い、萎縮しきっています」……とはちょっと言い過ぎたかもですが、 そこに書いたディープインパクトやキングカメハメハの早死に関しても、それは過剰使役が遠因かもしれないという疑問を投げかけるような、 ネガティブな印象を与える論述が公の媒体に載ることはありません。

しかし、サラブレッドは産業動物であり、市場の要求があれば結果として過剰使役となってしまうことは当然にありうることで、 仮にそうだったとしても安直に批判できることではありません。 だからこそ、個々の人気種牡馬を最善に扱うにはどうしたらよいか、生物学的視点や経済の視点などを盛り込んだ議論があって然るべきなのです。 今年の最初に「競馬ジャーナリズム」と題したものを書きましたが、人気種牡馬の年間種付頭数が200を超えることが当たり前となった現在、 そのような多面的多角的な議論を率先していくことこそメディアの使命ではないですか。 「我がレゾンデートル(その2)」にも書いたとおり、偶像神格化したものを批評したり、 実力者の利益に反することを論ずる場合は確かに神経をとがらす必要はあるでしょう。しかし、そこに踏み込むのが「メディア」です。 私が別途繰り返し繰り返し問題提起をしている遺伝的多様性の低下に対する問題も、我が日本の競馬メディアはどこまでだんまりを続けるのでしょうか。 まさか、それ以前に、多様性低下の科学的リスクに関する理解を怠っていることはないですよね。

或るジャーナリストがユーチューブの動画で、アメリカのメディアの報道姿勢について興味深いことを語っていました。 翌日掲載予定の新聞記事ひとつにも、記者同士で何を伝えるべきか、どのように表現すべきかを真剣に議論するとのことで、 このような議論があるからこそ迎合や忖度が払拭されるとのことですが、その記者たちを傍から見ているとまさしく大喧嘩とのことであり、 日本人同士ならもう二度と口をきかない仲になるような雰囲気とのことです。 しかし彼らは翌日はケロッとしており、「異論と議論のススメ」に書いた 「アメリカ人は、白熱した議論を戦わせても、それが終われば肩を組んで帰っていく」というのがまさしくこれでしょう。 お国柄の違いも当然にありますが、見習うべきことではないでしょうか。

ちなみに、このジャーナリストのその動画は、ジャニーズ問題と並行して日本の大手メディアが現在だんまりを決め込んでいるもうひとつの大きな事件についてのものであり、 これについても私は大きな違和感を抱いているのですが、この事件の話は今回はやめておきます。

(2023年9月10日記)

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