競走馬の福祉

今回の表題はちょっと仰々しいとは思いましたが、「バイアスのかかった遺伝子プール(その5)」では、 近親交配増加に起因する近交弱勢の問題に言及した論文において「welfare」、つまり「福祉」という言葉が使われたことを書きました。 また、拙著でも こちら のとおりこの論文を紹介しました。

福祉という観点では、競走馬の余生に関する議論が最近活発化している気配があり、これは好ましいことだと思いますし、さらなる活発化を期待します。 しかしです。その「余生」というものは、一旦「競走馬として成り立った個体」にのみ焦点を当てている言葉であることを忘れてはなりません。

福祉に関する別方向からのアプローチとして、「近親交配(インブリーディング)とは何か?(その10)」 でも書いたような「収率」や「歩留まり」の観点からの議論、つまり、奇形を含めた「競走馬として成り立たなかった個体」の出生率低下を目指す具体的な議論は、 あくまで私レベルではまったく耳に入ってきません。「バイアスのかかった遺伝子プール(その11)」の最後に書いたとおり、 『JBISサーチ』で或る繁殖牝馬の仔の一覧を検索した場合に、そこには性別は書かれてはいるものの名もなき馬がしばしばいますが、 奇形を含めた非健常個体として生を享(う)けてしまった例がほとんどなのかもしれず、この視点も決して忘れてはならないものです。

競走馬は産業動物です。よって、きれいごとだけでは済まされないことは重々承知です。 先月末に札幌で開催された「アジア競馬会議」では、 ファーストフードの大手たる米マクドナルドで長年に渡り社会的責任と持続可能性の問題に従事してきたボブ・ランガート氏の講演があり、 食肉を扱う企業として、動物愛護を主張する者との適切な付き合い方に関する話が有意義で含蓄があったという声を耳にしました。

ここで思い出したことがあります。以前見たテレビ番組だったかでファーストフード店で働く人の言葉(想い)が紹介されたもので、 賞味時間切れのフライドチキンなどがあっさりと捨てられ続ける現実に、「その動物は何のために生まれてきたのだろうか? その動物の命とは何だったのだろうか?」 というものがありました。われわれの日常生活、それを支える産業の構造上、このようなことはいたしかたないのかもしれません。 ただ、確実に言えることは、そのような廃棄率を可能な限り下げる不断の努力は必須ですし、当然にファーストフード店側も利益に直接跳ね返ってくるわけですから、 廃棄率を下げることは最大限に考えているでしょう。

利益に跳ね返ってくるということでは、上述の収率・歩留まりの話はそこにまさしく直結する問題であり、これはサラブレッドの生産界はもとより、 競馬関係者全体がきちんと認識すべき点です。そして、冒頭で述べた「福祉」にも当然に繋がってくるのです。

強い近親交配がリスキーであることは、生産者からファンに至るまで感覚ではわかっているようですが、 けれども、身体に悪影響を及ぼす潜性(劣性)遺伝子が二重になる(ホモになる)ことで、 その作用を抑制していた顕性(優性)遺伝子に邪魔されなくなるというようなメカニズムを理解している者は、実際にはかなり少ないのが正直なところでしょう。 そのような状況下で、まずは関係各位が最低でも以下を理解すべきと考えます。

@「近交弱勢」 とは何か?
A「近交係数」 とは何か?
B「常染色体潜性(劣性)遺伝病」 とは何か?

これには地道な啓発活動が求められます。 上記を理解していないようなインブリーディング関連言説に踊らされないようにしていくことは、じっくりと福祉に貢献していくはずです。 そのような啓発の必要性は、2年半前に「遺伝的多様性の低下に対する米国の方策(その7)」に書いていたことも申し添えておきます。

(2024年9月15日記)

国枝栄調教師の 『覚悟の競馬論』(講談社現代新書)には、こちら のような「福祉」という言葉を使ったくだりがありました。 当然に、これもあくまで競走馬として成り立った個体についてのものであります。

(2024年10月12日追記)


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