バイアスのかかった遺伝子プール(その5)
こちら で紹介した「Performance Genetics」という組織が、数日前にツイッターで以下の論文を紹介していました。
「Inbreeding depression and the probability of racing in the Thoroughbred horse」
「Inbreeding depression」とは「近交弱勢」のことです(近交弱勢は こちら の中で説明しました)。
本コラム欄では、私はしつこいまでに昨今の近親交配の増加、それに伴う遺伝的多様性の低下に警鐘を鳴らしてきました。
この論文はその延長線上の話であり、PDFは自由にダウンロードできますので、詳細は各自で読み込んでみてほしいのですが、その内容は、
解析の結果、近親交配は相対的に競走成績にマイナスの効果を及ぼしているというデータが次々と出てきているということです。
例えば以下のくだりです(「inbreeding coefficient」は近交係数)。
"According to the model, a horse with the highest observed inbreeding coefficient (FROH_long = 0.40)
had roughly a 13% lower probability of ever racing than a horse with the lowest observed inbreeding coefficient (FROH_long = 0.18)."
"However, more recently shared common ancestors, indicated by FROH_long,
have a considerable negative impact on the viability of a horse for racing and contribute to wastage in the population."
そして、一番最後に総括として以下が書かれています。
"In summary, the introduction of genome-enabled breeding strategies to avoid the production of long homozygous stretches in the genome and homozygosity
of the THR14 haplotype could improve economic returns for breeders and positively impact animal welfare.
Therefore, industry guided monitoring of genome-wide inbreeding over time will be important to maintain sustainable populations of horses,
with particular attention focused on higher resolution information that can be obtained for deleterious haplotypes such as THR14."
上記を意訳すれば、「遺伝子のホモ化を避けるための遺伝学的対応を施した生産戦略の導入が、生産者における収益の改善につながり、
動物の福祉に対する好ましい効果をもたらす。
したがって、THR14 と呼ぶところの有害なハプロタイプ(つまり染色体)を得てしまうことに注意深く対処するような、
継続的な産業界主導による遺伝子レベルでの近親交配に対するモニタリングが、馬という種の健全な維持のために重要である」というものです。
この THR14 を近親交配によりホモ(二重)で持つと骨軟骨症(osteochondrosis)を誘発しうる様子であり、
今回サンプルに用いた欧州と豪州の6128頭のサラブレッドの父親のうち、実に6頭に1頭もがこの遺伝子を持つとのことで、これこそまさしく遺伝的多様性低下の結果です。
また、この論文によれば、2020 年にアイルランドで生まれた 8542 頭のうち 87 頭は THR14 をホモで持っているとの試算です。
つまり、もはや遺伝学的に看過できない状況に入り込んでいるわけであり、この論文の冒頭にあった以下の一文には突き刺さるものがあります。
"Genomics-informed breeding aiming to reduce inbreeding depression and avoid damaging haplotype carrier matings will improve population health and racehorse welfare."
この種の科学論文に「welfare(福祉)」という言葉が躍り始めたことは、「純血種という病」
に書いた犬や猫の現状と同様の状況にサラブレッドも陥りつつあることを示唆します。
生産者において、「この牝馬はこんな特徴だからこの種牡馬を付けた。その結果として、このようなインクロスになった」というような単なる結果論ならまだ理解はできます。
しかし、「……の3×4を作りたいからこの種牡馬を選んできた」というような発想は、非常にリスキーだということです。
そしてサークル内には「……の〇×〇だからこの馬はこんな特長だ」というような、あたかもインクロスは優秀馬産出のベースとなっているかのごとき言説があふれかえっているのです。
私は配合シミュレーションを楽しむゲームはやったことがないのですが、もしかしたら、この種のソフトもそのようにプログラムされているのですか?
上記論文が引用している既存論文のひとつに、
「Founder-specific inbreeding depression affects racing performance in Thoroughbred horses」もあったのですが、このように、
サラブレッドの近交弱勢関連の論文が出てくる頻度が増しているということは、こちら に書いたサイレントキラーによる侵蝕どころか、
その侵蝕はサウンドを伴い始めていることを意味しており、ガラカラと音を立てて瓦解する前に歯止めをかける必要があるということです。
そんな視点からも、明日、明後日と開催されるセレクトセールを眺めてみて頂ければと思います。
(2022年7月10日記)
「バイアスのかかった遺伝子プール(その6)」に続く
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