身近に存在する優生思想
『サラブレ』 12月号に 『白毛誕生率83%は異常!? 白毛一族に秘められし未知なる力の可能性』 と題した記事を寄稿し、さらに
前々回、前回 とこの記事の続編としてシラユキヒメの白毛一族と競走能力の関連性の話を書いてきたのですが、
ここでちょっと心配しているのは、これらを読んで下さった方々に毛色と運動能力は必ずリンクするような誤解を与えなかっただろうか……ということです。
「この馬は父の○○の特徴がよく出ている」 といった言葉をしばしば耳にしますが、
前々回 も書いたようにディープインパクトやロードカナロアのように鹿毛遺伝子をダブルで持つ(ホモで持つ)種牡馬の場合は、
芦毛や白毛ではない牝馬と交配すれば産駒は全て鹿毛系(青毛を含む)となることから、外観上はその特徴が強く出たような印象を与えがちです。
そして、毛色と能力がリンクしていると過度に信じ込むことは、ちょっと重い話になりますが、われわれ人間における肌の色と差別の話ともどこかで通じてきてしまうのです。
つまり 「優生思想」 です。その究極の悪しき例はナチスによるユダヤ人迫害行為でしたが、ひと昔前までは、
日本でも市中の産婦人科の看板に 「優生保護法指定医」 という言葉が書かれていたのは通常の光景でした。
最近では或る著名人が、大谷翔平さんや藤井聡太さんのような人物の遺伝子は国家プロジェクトして残すべきではないか、という発言をして大炎上したようですが、
このような言動は咎められても仕方ない部分は確かにありますね。
その一方で、広い意味での優生思想はわれわれの身の周りにはいくらでも存在するのです。例えば我が競馬サークル。
こちら にも書いたとおり、「俺はダメな男だ。会社では評価が上がらないし、家でも女房子供には愛想をつかされ……」
と思い込んでいるちょっと疲れたお父さまの血筋と、そのお隣りに住むそれなりに頭の良さそうなお父さんの血筋の価値がもしも数値で表すことができたとしても、
その差が何十倍も何百倍もあるとは思わないですよね?
しかし、こちら にも書いたように、
仮に単なる公示価格であったとしてもディープインパクトの種付料が4000万円に高騰したことについて何ら疑問に思わない、
つまり遺伝子の値段にそこまでの差があるものだと当然に思ってしまうサラブレッドの市場には、優生思想が多かれ少なかれ存在するということを意味するのです
(人間以外の動物を相手にした場合に 「思想」 という言葉が適切かという議論はあるかもしれませんが)。
ロードカナロアの来期の種付料は2000万円から1500万円に値下げされたようですね。
依然として私は こちら にも書かせて頂いたように1000万円を超える価格設定には違和感を抱かずにはいられないのですが、
それでも予約が埋まっていくだろうということには、そのような思想が知らず知らずのうちに存在していることの証左でもあるのです。
とは言え、「良い遺伝子を取り込みたい」 「優れた子孫を得たい」 と思うのは至極当然のことであり、そのように優秀と見なされる種牡馬に人気が集中して、結果、
種付料が高騰するのは当然のことではあります。
よって、競馬サークルを取り巻くそのような姿は、広い意味では確かに優生思想の範疇なのかもしれませんが、ごく自然な姿でもあるわけです。
つまり優生思想というものは、人間を対象とした場合にはあってはならないものですが、サラブレッドをはじめとする産業動物を対象とする場合には当たり前のものなのです。
ただし、ここで忘れてはならないことがあります。人間もサラブレッドも動物、つまり 「生物」 であるということです。
優生思想はその対象が何であれ、それを抱く者の根底にはそれが真実であるとの想いがあるわけですが、しかし、
「ある特定の血筋を優先的に残せば結果として優れたものばかりが残存する」 というような単純な公式はあり得ないのです。
われわれ生物は機械ではないのです。生物の一個体たる貴方も私も、そんな単純な物体ではないですよね??
遺伝子の価値がそれこそ 「白か黒か」 や 「数値の大小」 で単純明快に語れるはずがないこと、
特にサラブレッドの生産の現場では、こちら にも書いた 「デジタル思考」 は相容れないということを忘れてはなりません。
『サラブレ』 に今回寄稿した記事の最後に 「人も馬もゲノムが解読されたと言っても、依然として未知な部分ばかりなのが 『遺伝』 なのです」 と書かせて頂きましたが、
今日のコラムにおいてもこの言葉をあらためて念押しさせて頂きます。
(2020年11月29日記)
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