持論の在り方を考える

前回、昨今どうも頑として持論を曲げない者が多いと感じると書きました。 しかしご存じのとおり、例えば私は持論として「母系の重要性」を掲げていることもあり、「オマエこそその最たる例ではないか!」 というお叱りのような声が幻覚のごとく聞こえてきたので、今回はその続編よろしく書いていきます。

まず、そんな私ではありますが、実は、その科学的意義の有無など深く考えずに、30年以上も長きに渡り父系(サイヤーライン)ばかりに目が行っていたのです。 自白がてらにいくつかその証拠を提示しましょう。 こちら は『優駿』1990年4月号に掲載された「海外文献購入の旅」と題した私の投稿ですが、この書き出し部分をご覧下さい。 また こちら は、その24年後の2014年3月に『サラブレ』編集部が発行した『サラBLOOD!』(vol.2)に寄稿した 「警鐘 インブリードにおける諸刃の剣 〜サンデーサイレンス系繁栄への課題〜」の冒頭部分ですが、そこの私のプロフィールもご覧下さい。 当時は『サラブレッド種牡馬系統』という冊子を作成していました。

私がサラブレッドの血統に興味を持ち始めた1970年代、こちらにも書いたように 山野浩一さんの『サラブレッド血統事典』(二見書房)などをベースにしながら父系樹形図を書くのが至福の時でした。 当然のことながら当時はインターネットなどなく、膨大なデータ量となる母系を詳細に調査することなどほぼ不可能でもあったわけであり、 そういう意味ではブルース・ローの偉大さを再認識します(こちら の続編も書きたいと思ってはいるものの)。

ちなみに、私から『サラブレッド血統事典』を取り上げたその時の担任の教師に対しては何十年にも渡り私の心の中でわだかまりがありましたが、 8年前の同窓会ではざっくばらんに杯を交わし、そんな気持ちも氷解したところに、昨年8月に闘病の末に亡くなったと奥様より喪中葉書を頂戴しました……。

話を戻し、『サラBLOOD!』のその次の号(vol.3)の発刊に先立ち編集部より、「ミトコンドリアのDNA(遺伝子)は母からのみ授かるようなので、このあたりの原稿を書けないか?」 とのオファーを受けたのがそもそもの母系の重要性に気づくきっかけであったのです。 そこで、執筆に先立ち専門書を含めた関連書物を片っ端から読み漁ったのですが、目からウロコでした……。 その経緯は こちら に書いたとおりであり、つまり私自身、母系の重要性に本当に気づいたのはたかだか7年前のことなのです。

歴史上の偉大なる将軍家の末裔だと自らを名乗る人がいたとしましょう。しかし、それを聞いた人がこの人に対して、 「あの偉大な将軍様の血を引くのだから、さぞかしリーダーシップに長けていて、会社を経営させたらさぞかし大成功するのだろうな」などと思うことはなく(多分)、 せいぜい「ああそうですか……」と思うのが関の山でしょう。

別稿でも繰り返し書いてきましたが、あくまで「強い馬づくり」や「その馬の特性」という観点に立てば、「父系」を議論することに科学的意義は何ら見出せず、 こちら にも書いたとおり、「父」と「父系」とは区別して考える必要があるということです。 「サイヤーライン」は競馬歴史学(?)においては重要な史実ではありますが、それ以上でもそれ以下でもなく、 あらためて想えば、あの頃の私はそんな歴史学のたぐいに興じていたのです。

先に結論ありきで自らの考えに固執することに汲々とした場合、いつかどこかでボロが出るものです。 持論にこだわり続ける論者において、自らの論調の軌道修正をしたいと思っている者ももしかしたらいるのかもしれません。 しかし、広く公に発言している著名な論者であればあるほど、周囲がそれを許してくれないのかもしれませんね。 一度イメージが固まったタレントが、そのイメージをチェンジさせてもらえずにもがき苦しんだというような話は、芸能ネタで散見されるように……。

強い馬づくりに関連する新たな遺伝学関連の報告があれば、既存の概念に縛られることなく新たにそれを探究したい ……偉そうに聞こえてしまうかもしれませんが、それが私の想いの原点です。もしかしたなら、私の心の中のドラスティックな「朝令暮改」は明日にでもあるのかもしれません。

(2021年1月17日記)

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