明治時代から続く小岩井の牝系

先週の大阪杯は、レイパパレが2着に4馬身の差をつけるぶっちぎりの快勝でした。 GI初挑戦、重馬場、422キロの小柄な牝馬、斤量55キロも初体験で、 「ロンジンワールドベストレースホースランキング」の現時点での今年の世界ランク牝馬首位タイとのことであり、得体の知れないものを感じざるを得ません。

このレイパパレの母系は、1月に書いた「隠し味のような血の意義」でも触れたとおり、 明治40年に小岩井農場が輸入したフロリースカップの系統です。 この牝系からは短期間にスペシャルウィーク、メイショウサムソン、ウオッカという3頭のダービー馬が出現したことにはあらためて驚くのですが、 これら3頭のダービー馬はフロリースカップ系と言っても第四フロリースカップの系統である一方で、レイパパレは第九フロリースカップという別枝葉であるということに、 この明治から続く牝系には底知れぬ「何か」を感じてしまいます。そして、ノーザンファームがこの母系を保有していることにも一種の慧眼を悟ります。

いま、あらためて吉沢譲治さんの『新説 母馬血統学 ― 進化の遺伝子の神秘』(講談社α文庫)を手許に出して眺めているのですが、 今般の話と深く関連する記述がいくつもあり、以下に抜粋してみます。

「名牝系とは、過去のホースマンたちが長い年月をかけて、熟成に熟成を重ねてつくりあげた最高級のワイン、といえるかもしれない。 それらは、うまく管理してさらなる熟成を重ねれば、新たな勲章と血統価値をもたらしてくれる。 けれども、ろくに価値もわからず粗雑に扱われようものなら、質はすぐに落ちてしまって、そこらの安売りワインと変わらなくなる」(本書28頁)

「要するに目先の利益のみを追求し、長期的なビジョンがないのである。現在、欧米の競馬主要国は、そのつけが一気にまわってきているように思えてならない。 打ち上げ花火のようにパッと散る馬が増え、名血の遺伝力があてにならない『混迷の時代』に陥るのも当然といえるかもしれない」(本書40頁)

「世界的な流行に乗らず、結果として競馬傍流国に甘んじてきたドイツ。しかし長期的なビジョンに立つと、 こうしたドイツのような頑固な生産環境で育ったアウトサイダー血脈は、ウォルデン卿の成功が示すとおり、血統的に行き詰まった主流サラブレッドにとっては、 貴重な存在となってくる」(本書40頁)

「しかし、よくよく調べてみると、古いから劣るとは一概に決めつけられない事実もまた見えてくる。 一流馬の母系を過去に遡っていくと、昭和初期、大正、さらには明治の世までもいきつく在来牝系が浮かびあがってくるのである。 その最たる例が、『ビューチフルドリーマー系』『フロリースカップ系』『アストニシメント系』といった、 小岩井農場が明治40(1907)年にイギリスから輸入した牝馬を祖とする牝系群、すなわち『小岩井牝系』である」(本書218頁)

「戦前、日本に導入された種牡馬は、血統的に劣ると考えている人は多い。 しかし、これはとんでもない勘違いで、この時代は国家の威信、存亡がかかっていた。財閥の資本力、コネクションにしても国家レベルだった。 だから、ヨーロッパでも文句なくトップクラスのものが入っている。 小岩井農場が導入したシアンモア、プリメロ、そして下総御料牧場が導入したトウルヌソル、ダイオライト……。 戦前のこの時代の種牡馬は、どれも競馬先進国レベルにあったといえるだろう」(本書231頁)

「繰り返すが、日本の在来牝系とくに戦前から続く古い在来牝系は、軍馬の育成という下地もあって、長くステイヤー血統が塗り重ねられてきた。 それが早熟性とスピード主体の競馬に移行するにつれて、太刀打ちできなくなった原因である。 しかし昨今、一時期とは違った状況が生まれている。ヨーロッパ系のブルードメアサイヤー、ヨーロッパ系の牝系血統と同じ役割を、 日本のスタミナに富んだ在来血統が果たすケースが増えてきたのである」(本書293頁)

価値もわからず粗雑に扱われようものなら安売りワインになってしまう話は、 「「サラ系」の真価を見出せなかった日本の競馬界」で触れた1895年豪州産のミラの系統と相通ずるものがあります。 ドイツの話は「ドイツの血筋」に書かせて頂いたこととオーバーラップしますし、また、 小岩井が輸入したシアンモア、プリメロといった種牡馬がトップクラスだったということは、同じく小岩井が輸入した繁殖牝馬群もトップクラスだったということです。

似たり寄ったりの舶来のスピード血統が飽和状態となりつつある日本の生産界、 「ベスト・トゥ・ベストの配合はベストなのか?」でも書かせて頂いたように、 これらスピード血統の遺伝子が互いに「抑制遺伝子」のようなものだったなら、 日本古来の眠っていた血の遺伝子が、「補足遺伝子」に書いたところ遺伝子のごとく新たに台頭してくることは科学的にも十分に考えられることです。 今般のレイパパレの激走を見て、何かそんな予感がしてならないのです。

(2021年4月11日記)

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