3200mの天皇賞が持つ意義
「今年のメンバーは一線級とは言い難いかもしれません」
……先週行われた天皇賞の発走前の実況アナウンサーの言葉ですが、これには私なりにいろいろと想う部分がありました。
近年は早熟性とスピード主体に移行してきた日本の競馬界ゆえに、3200mの春の天皇賞の存続意義に関する議論を耳にすることがしばしばあります。
しかし私は、長距離の大レースがこれ以上なくなってしまえば、遺伝学的側面からも、かえってスピード主体の競馬の屋台骨が危うくなるような気がしてならないのです。
誤解頂きたくないのは、「遺伝学的側面」などとたいそうなことを言ってしまったものの、天皇賞を3200mのまま据え置いたところで、
その遺伝的な側面に直接的には影響があろうはずがありません。言いたかったのは、「競馬」とは馬という生き物が主役の産業です。
その馬の在り方をも左右する「レース体系」といったような競馬産業を構築する要素のひとつひとつにおいて一定の方向に過剰にバイアスがかかるような、
つまり各々の要素のバラエティをどんどん狭めていくような思考が席巻し、それに違和感を持たない空気が取り巻いていくようなら、塵も積もれば山となり、
これこそ別稿では何度となく警鐘を鳴らしてきた「遺伝的多様性の低下」の遠因にもなりうると思っているのです。
似たり寄ったりのスピード血統が飽和状態となりつつある現在の日本の生産界。
「ベスト・トゥ・ベストの配合はベストなのか?」でも書かせて頂いたように、
これらスピード血統の遺伝子が互いに「抑制遺伝子」のようなものだったら?
そしてその一方で、ステイヤーの血が「補足遺伝子」に書いたような遺伝子だったら?
さらには「隠し味のような血の意義」に書いたような遺伝子だったなら??
先週の天皇賞を勝ったワールドプレミアはディープインパクトの産駒ですが、一方でディープ産駒にはグランアレグリアのように1200mのGIを勝っている馬もいることから、
3200mの天皇賞存続の議論と遺伝的多様性の話にリンクさせるのは筋違いというような声も受けました。
しかしこれは、ディープインパクトという一種牡馬しか見ていないごくごく狭い視点に基づくものであり、つまり配合する牝馬の特徴を邪魔しない種牡馬が1頭いれば、
多様性の議論は不要だと言ってしまっているようなものです。
また、2400mでさえ長いとされるアメリカながら依然としてアメリカの血統には多様性があるので、天皇賞の距離短縮可否の議論と絡めるのはどうかというような声も受けました。
さらに、基本2000mまでが主体のアメリカ競馬の血統多様性が世界の競馬を支えていると思っているという声も。
以上のような声には正直なところ少々哀しい気持ちになりました。
拙著『サラブレッドの血筋』の第3版で詳述したのですが(こちら を参照)、アメリカ産馬の近親交配の度合いは高いという結果が出ています。
ウィキペディアの『サラブレッド』の「各国の生産状況」にある2010年のアメリカの生産頭数は27800で日本の約4倍であることからも、
近親交配による影響(=遺伝的多様性の低下)による非健常馬もかなりの数に上るのではないかと推察します。
年間3万近い生産頭数ですから、それなりに素晴らしい馬は一定数で毎年輩出されます。
全体から見れば低い割合だったとしても素晴らしい馬がある程度出れば、その生産界の遺伝子組成は健全と思ってしまっていないでしょうか?
そんなごく一部の名馬の蔭には膨大な数の無名の馬の存在があるわけであり、そこには日本の比ではない非健常馬も山ほど存在すると考えるのが自然です。
だからこそ、別途本コラム欄でも「遺伝的多様性の低下に対する米国の方策」と題したものを繰り返し書いてきたとおり、
アメリカジョッキークラブは施策発効に動いたのではないかと。特に こちら でも言及したように、
『BLOODHORSE』の記事にはジョッキークラブがこの策を発布した理由に遺伝的多様性低下があることが明確に記されています。
以上のとおり私は、アメリカの方が遺伝的多様性については日本以上に危惧する状況に入っていると考えます。
が、上記のような声が複数もあることに対して思ってしまったのは、トランプ前大統領が声高に言い放った「アメリカ・ファースト」に違和感を覚えないかのごとく、
アメリカの属国であるという感覚に染まっていないか?……ということです。
「アメリカは2000mまでが主体なのに、そのアメリカの生産界の血統構成は多様性がある」というような思い込みは、
「アメリカの後ろを歩いていれば大丈夫だ。何かあったらアメリカが守ってくれる」と信じ込んでいるどこかの国の政権政党を連想します。
丁度40年前の第1回ジャパンカップで見栄えのしない牝馬たるメアジードーツに日本の一流馬が蹴散らされたあの衝撃以降も依然と、
「「内国産」というレッテル」にも書いたような感覚がわれわれ日本の競馬人のDNAに刷り込まれたままなのかとも思ってしまったのです。
他方、そんなアメリカですが、現地ジョッキークラブは(それがベストな策ではないにせよ)一定の施策を講じてきているわけであり、
つまり、アメリカ競馬界は自らのサークル内における自浄作用が稼働しつつあるわけですが、果たして我が国はいかがなものでしょうか?
アメリカが世界の競馬を支えているというのであれば、このようなアメリカの動きに迅速に追随する必要があるのではないでしょうか?
別途何度も引用させて頂いた競走馬理化学研究所の研究者諸氏の論文は(こちら を参照)、
日本の生産界は配合模索において特定の競走成績ばかりに着目し、その結果、特定の人気種牡馬ばかりがもてはやされることによって、
特定の遺伝子座における「ヘテロ接合度」が減少しているのではないかというのが要旨です。
ヘテロ接合度が減少しているとはホモ接合度が増加しているということでもあり、これは同じような血の上塗りの繰り返しをしてきたがゆえに、結果として、
遺伝的多様性の低下をきたし始めているということです。
先週の天皇賞を勝ったワールドプレミアの母マンデラはドイツ産で、ドイツの名馬 Manduro は叔父に当たります。2着のディープボンドの5代母は天皇賞馬のクリヒデです。
これらの血は「隠し味のような血の意義」で書かせて頂いたたようなものなのかもしれません。
ディープボンドは秋に適当な国内のレースがないことからも凱旋門賞を目指すとのこと。
レースの質の多様性を広げようにも、レース数には限界があることからも、国内だけでは頭打ちであることは十分に理解できます。
だからこそ3200mの春の天皇賞は、多面的・多角的な議論のもとにその存在意義を再認識すべきだと考えているのです。
フィエールマンは父ディープインパクトに母はフランス産GI馬ながらも、この馬自身が勝った3つのGIは全て3000m級であるからか、社台SSにスタッドインすることはありませんでした。
天皇賞を獲ることを目標としたメジロ総帥の北野豊吉氏の執念に基づくメジロマックイーンの血が、
オルフェーヴルやゴールドシップに流れていることも忘れてはならないと思います。
(2021年5月9日記)
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