血統派
「血統派」という言葉を耳にすることがあります。これは、血統をレース予想に偏重する人を揶揄的に呼ぶ場合もあるようです。
時はさかのぼり、昭和51年(1976年)の菊花賞。12番人気のグリーングラスが快勝した際、父インターメゾはステイヤー血統と言われたことから、
後日のどこかの紙面に「血統論者を狂喜させた」という言葉が躍っていた記憶があります。
確かにこの時は、レース検討に血統は重要なんだな……と中学生の私は思ったものです。
(余談ですが、もしも「今後ひとつだけしか過去のレース動画を見られないとしたら何を選ぶ?」
と問われたら、私はこのグリーングラスが勝った菊花賞を迷いなく選びます。
外に大きくよれながらも2着に頑張ったテンポイントの力走が、私をこの世界に誘ったと言っても過言ではありません)
そしてその翌年の菊花賞。トライアルの京都新聞杯も快勝した連勝中のプレストウコウについて、『ダービーニュース』の名物トラックマンの伊藤友康氏が、
「(短距離血統とされた)グスタフの仔が菊花賞に勝ったなら歴史に残りますよ」とネガティブな口調で解説していたように、
プレストウコウはラッキールーラとともにシード馬だったものの3番人気に評価を落とされました。
が、結果は当時のレコードタイムでの快勝だったわけで、前年のグリーングラスの例とは対照的でした。
ちなみに「シード」という言葉は、その馬に優遇措置が取られているかような誤解を与えるため、のちに「単枠指定」という呼び方に変更されました。
その昔の人気番組『ねるとん紅鯨団』では、人気が集中しそうな異性には「今日の単枠指定」と呼んでいたのも懐かしいです。
すみません、いにしえのこんな話は「???」と思われている方々がほとんどでしょうから、適当に無視ください(笑)。
さらに話を脱線させますが、昔は場外(今の「ウインズ」)の発売締切は発走の30分前でした。
ところがですよ、テレビ中継では、場外の締切時間など知ったものかと悠長なパドック解説をしているわけで、しかし現地競馬場にいる者がそのテレビを見れるはずもなく、
その解説を参考に誰が馬券を買えるんだ?? と思ったものです。
まあ、場外近くの「競馬中継放送中」という看板をぶらさげた飲食店の客が、テレビのパドック解説を聴いて場外の窓口にダッシュしたという話もあるようですが、
それだって間に合わないでしょう。ラジオにしたって、場外ではその解説を聴いている最中に締切時間となってしまうわけです。
何が言いたかったかですが、当時は、競馬場の塀の外側でのレース予想は、馬体重の情報は直前になんとか得られても、もっぱら紙面の情報に頼っていたということ。
馬券を買えるのは締切が発走30分前の場外窓口だけときたものだから(ノミ屋に行ったら逆にあちらの塀の中(笑))、
現場にいない限りは最終的な馬体状況を鑑みて買うこともできず、
父母名(&母の父名)程度の血統、調教タイム、関係者のコメント、記者の◎〇▲のような字面が全てだったということです。
が、現在は当時とは違い、出走各馬に関する情報は(怪しいものはあるものの)各種媒体において随時十分に発信されているわけであり、
さらにレース直前までその馬の様子をチェックした後に思い思いにネットでも馬券を購入できるのです。
そんな現在だからこそ、レース検討は、あふれかえる情報をバランスよく選別・選択するのが肝要だと思うのです。
それには「憲法、そしてリテラシー」にも書いたようなリテラシーが求められるわけですが、
他者のネット上のコメントを見ていると、レース検討にそこまで血統を加味する必要があるのか? と思うことがしばしばであり、
このあたりの話は「我が言説」に書いた「ガラポン器」の話のごとくです。
つまり、赤玉は青や緑に変色できないように、「生まれてきたもの」はその有形の姿が全てです。
「我が言説」に書いたアーモンドアイの話と同様に、上述のプレストウコウにしても、短距離血統だと言われながらも、
長距離にも対応できる個体として生を受けたということです。
けれども、一定のファンを獲得できなければ収益が得られない商業ライターの言説は、同じ赤玉なのに「どのガラポン器から出て来たのか?」のような議論、
すなわち、「違うガラポンから出てきた赤玉は、同じ赤でも何かが違う」というような議論に興じがちのような気がしてなりません。
「血統派」と呼ばれる人たちでも、血統を的確に探究して自らのレース検討に反映している人たちは少なからずいるでしょう。
その一方で、揶揄的に「血統派」と呼ばれてしまうような方々は、自分の想いに都合のいい血統データばかりを取り込んでしまっている面々のような気がするのです。
これはまさしく「確証バイアス」であり、
3年前に書いた「サイヤーラインというもの」では、或る血統論者の著書には
「或る競馬場の或る距離のレースではグレイソヴリン系の血が強い」とあった話を引用しましたが、まさにこれこそです。
「「氏より育ち」は本当か?」では二卵性双生児の話を書きましたが、
我が二卵性双生児の息子たちをあらためて観察すると、その違いにあらためて唖然とします。
性格も趣味もことごとく違う。長男はバリバリの理系、次男はバリバリの文系。長男だけがカミサンと同じ左利き……。
これに絡めて「似て非なる「全きょうだい」」に書いたような話を持ち出すと、
馬券検討に血統は不要などと言い出す「反血統派」も現れ出すのが厄介なのですが、
繰り返しますが、問われるのは情報選別力です。リテラシーです。
つまり、レース検討においては、血統、馬体、その他諸々を適度に偏重なくバランスよく、ということですが、まあ、いくら突き詰めても正解などないのが競馬であり……。
(2022年4月14日記)
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