JRA賞馬事文化賞とダビスタ
各JRA賞が発表されました。こちら のとおり、
「最優秀4歳以上牡馬」をイクイノックスにしなかった記者、「最優秀3歳牝馬」をリバティアイランドにしなかった記者がそれぞれ1名いたようですが、
それはそれで深い考えがあったのでしょう(と思いたいです)。
そして「馬事文化賞」。受賞作は『エピタフ 幻の島、ユルリの光跡』(岡田敦)でしたが、追って機会があれば読んでみたいです。
ちなみにその受賞作発表前にSNSで、ある方が独自のセレクションで候補書籍を挙げていて、
なんとその中に拙著『競馬サイエンス 生物学・遺伝学に基づくサラブレッドの血統入門』があって、とても嬉しかったです。有難うございました。
イクイノックスやリバティアイランド以外に票を投じた記者もいたことからも、拙著を推してくれる選考委員も1人ぐらいはいるかな?……なんて思ったりもしたのですが(笑)。
ただ私は、「外野席における視点」にも書いたように、
JRAを含む競馬サークルに対して可能な限り迎合も忖度(そんたく)もない姿勢で拙著を執筆したつもりです。
よって、拙著が「JRA」という冠が付された賞を授かることなどどう考えてもあり得ないのです。
また、負け惜しみにも聞こえるかもしれませんが、このような賞は正直なところ欲しいとは思いません。
なぜなら、受賞などしようものなら、以後JRAやそこに紐づく組織、さらにはその周辺の関係者に対して率直な発言がしづらくなるからです。
そんな中、競走馬育成シミュレーションソフトである『ダービースタリオン』(通称「ダビスタ」)に馬事文化賞を、というコメントをSNSで見かけました。
また、馬事文化賞の選考委員であった石川喬司さんは生前、ダビスタを推したことがあったそうです。
しかし私は、ダビスタはJRAの馬事文化賞とは別次元のものだと考えます。
この賞の趣旨や授賞対象範囲は曖昧模糊としているのは確かですが、馬事文化賞というものは学術的概念も持ち合わせているべき、
つまり学術的問題点をはらんでいないものに対して与えられるものであると私は考えており、その観点からすると、
このソフトはやはり授賞対象のカテゴリーから外れると思わざるを得ないのです。
ダビスタにより、独自の配合模索の結果としての1頭の馬の誕生、さらにその育成やデビューと追いかける視点を持つことで、
競馬界にとって新たな多くのファンを取り込めたことは間違いありません。競馬界にとっての経済効果は多大なものだったでしょう。
その一方で、このソフトによって、生物学(遺伝学)に対する誤解を助長することはなかったか? という懸念があるのも事実です。
このソフトを楽しむ上での大きなキーワードたる「配合」ですが、そこには「遺伝」という生命現象がつきまといます。
遺伝はアナログ的なものということを以前「「遺伝」とはアナログな現象である」にも書きましたが、
つまり「生き物」というものの個体の特質をデジタル化してプログラム化することなどできるはずがないのです。
「デジタル思考の弊害」に書いたパラパラ漫画の世界にすぎないのです。
遺伝学において、理論上の近親交配の度合を示す「近交係数」というものがあります。その近交係数ですが、3×4は3×3の半分の値です。
また、3×3と2×4は血量は違う値ではあるものの近交係数は同じ値になるのですが、
この話は「近親交配(インブリーディング)とは何か?(その10)」に書きました。
けれども、このようなことを逐一きちんと踏まえて、このソフトウェアはつくられていますか?
以上のようなことから、ダビスタは「諸刃の剣(もろはのつるぎ)」であるということを決して忘れてはなりません。
つまりこのソフトには、競馬というものを配合や育成段階からも眺めて伴走する楽しさを広め、ファンを増やしたという部分で大きな貢献があった一方で、
それをゲームとして面白く具現化(単純化)することによる負の側面として、上記のような生物学的(遺伝学的)誤解も広めてしまった部分もあるのです。
以上のようなことを書くと、「みんなこのソフトで楽しんでいるんだから、水を差すようなことを言うな!」というような声が聞こえてきそうです。
けれどもここでひとつ冷静に考えてみていただきたいのです。
馬券を中心に競馬に接するファンは別として、例えば、或る馬に一定の期間接する方々に言いたいのですが、
つまり「点」ではなく「線」として特定の馬を追いかける一口馬主のような方々にこそ認識してもらいたいのですが、
より能力の高い馬に出資しようとするならば、もう一歩踏み込んで、生き物を科学的に正確に眺めようとする視点を持つことは間違いなく得策であり、
そしてそこに、自らの虎の子の軍資金をつぎ込む出資馬の選択における新たな方向性を見出すこともできるのではないでしょうか。
最後に話を戻せば、ダビスタのような人気を博したソフトには何らかの賞をというのは確かにありでしょう。私もそのような発想は賛成です。
ただ、そのような賞を与える組織は、競馬サークル内でも中立な組織であることが必須だと思うのです。
現時点でそのような組織があるのかは微妙ですが、少なくとも「JRA賞」というような冠が付されるような賞ではなく、
また「文化賞」というカテゴリーとは違うカテゴリーだと考えます。
これは「競馬ジャーナリズム」の最後に書いたことにも関連しますし、そのような機運が高まることを期待します。
(2024年1月12日記)
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