生産地を歩く意味

先週後半、日高に行ってきました。不定期ながらも生産地に通っているのは、独特の商流や流儀があることから時に「ムラ社会」と揶揄される競馬界ながら、 その社会内に共存する主催者、生産者、馬主、メディア、ファンといった各層における視点や考え方は多様であり、 ゆえに こちら に書いた「サイエンスコミュニケーション」の策を模索するには、 これらそれぞれの空気を継続的に把握することが必須であると考えるからです。

今回の日高訪問は、拙著『競馬サイエンス 生物学・遺伝学に基づくサラブレッドの血統入門』を読んでくださった或る生産者が、 嬉しいことに私と一度話がしたいとのことで、その生産者と配合に関する考え方や生産界の現状について情報交換をすることがメインで、 とても有意義な論議ができ、やはり生産地に足を運ぶ意味を深く感じました。

その内容をここでは逐一書ききれませんが、再認識したことは、実生活をそこに置く生産者には生産者にしか持ち得ない視点があるということです。 実際に競走馬を生活の糧とする生産者と、 競馬をエンタメとしてとらえるファンや、所有馬が惨憺たる成績でも破産したり生活保護を受けることにはならないであろう馬主とでは、当然にその視点は違います。

マーケットブリーダーは、「強い馬より売れる馬」にも書いたように、いかに売れる馬をつくるかということが最優先事項です。 「競馬ジャーナリズム」に、5代血統表の中にサンデーサイレンスの名前がたくさんあるほどいいと思っている馬主がいるという話を書きました。 もしもこのような嗜好がバイヤー層で勢力を持つと、マーケットブリーダーはそんな嗜好に合わせた馬づくりをせざるを得ないのかもしれません。 しかし、深慮なくそのような嗜好に迎合すれば、ミクロというよりマクロ的に血の偏りによる弊害が発生し、 結局はブーメランだということは、今般の生産者との論議において共通の認識でした。

そんなことを避けるためにも、「競走馬の福祉」の最後に書いたような啓発が必要なわけですが、 聞くところによると、生産地において「遺伝」に関する研修会のようなものは過去も現在もほとんど(まったく?)行われていないとのこと。 これは予想どおりであると同時に非常に憂慮すべきことであり、「経験と勘を重んじる世界」に書いたことともオーバーラップします。

今月末、冒頭に書いた「社会」の中の唯一とも言える学術団体たる「日本ウマ科学会」の年次学術集会が開かれます。 拙著の「第8章 サイエンスコミュニケーション」では多少の皮肉を込めて こちら を書きましたが、 こちら を見ると、やはりそれは、ないものねだりなのでしょうか。

(2024年11月8日記)

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