サイエンスコミュニケーション 〜右岸と左岸の橋渡し〜

本コラム欄で「執筆の途中経過」と題したものを (その1)(その2)(その3)と書いたとおり、新書の執筆依頼を受けました。 そして先月末にとりあえず脱稿し、現在はゲラ(校正刷り)を待っている段階です。 書き上げた原稿ながらも、掲載したデータなどのファクトチェックは継続して行っておりますが、 一部データに数値の微修正が必要な箇所も見つかりましたので、ゲラが届いたら最終修正をし、これを提出し終えれば出版を待つだけとなります。

執筆した原稿は8つの章の構成とし、その締めたる最終章のタイトルは「サイエンスコミュニケーション」としました。 私自身、この言葉には以前はそれほど馴染みはなかったのですが、一昨年に発行された日本テレビのアナウンサーであった桝太一氏と高名な科学者との対談集である 『桝太一が聞く 科学の伝え方』(東京化学同人)の中で氏は、サイエンスコミュニケーションの研究・実践が目的でテレビ局を辞めたこと、 辞職の際にその意図をテレビ局内の人に伝えても、その真意は局内の誰にも理解してもらえなかったことなどが書かれていました。 僭越ながら私自身も似たような想いを抱くことがしばしばあり、深くうなずいてしまったわけで、そんなことからも締めの章のタイトルはこの言葉を拝借したわけです。

今般、出版社から執筆依頼を受けた理由として、生物学的・遺伝学的な視点から競走馬の血統を説いたものが稀有(皆無?)であったということです。 これ、よく考えると非常に不思議なことです。そして、原稿の冒頭に書いたのですが、競馬サークル内の科学への探究心の乏しさと、 科学者がその基本を啓発する気概の乏しさの両極化が昨今は顕著のような気がしてならず、そこにこそ必要なのがサイエンスコミュニケーションです。

しかしその実践は甘いものではありません。原稿を書き進めると、サイエンスコミュニケーションの難しさをあらためて痛感し、 コミュニケーターたる「橋渡し役」の在り方について考えると確たる答えが見つからず、もがくことは幾度となくありました。 このような試行錯誤は、「『伝える』ということを考える」と題したものを(その1)および(その2) と書いた4年前からもずっと続いています。

そして、いざ脱稿し、ゲラを待っている段階の正直な気持ちは、右岸にも左岸にも一定の距離がある中州に独り立ち、 右岸と左岸に仁王立ちする面々ときちんとしたやり取りができるかどうかが不安、という感じでしょうか。 右岸からは こちら に書いたようなガチガチの科学マインドの面々が、 左岸からは こちら に書いたような科学とは距離を置くエンタメ主眼の面々がそれぞれに中州に攻め込んでこないか……。

仮に右と左から同時に攻め寄られたときに、おのおのに対して、目の前にある論点を理路整然と説明できるかにより「橋渡し役」の真価が問われるのでしょう。 いや、それだけでは橋渡し役の使命を果たしてはいないですね。右と左の面々同士が相互に理解し合えるようにして初めてサイエンスコミュニケーションが成り立った、 橋渡し役として使命を全うしたと言えるのでしょう。

最後に……。「右と左」などという比喩表現を使ってふと思ってしまったのですが、ここだけ抜き取れば何か政治の話みたいですね。 そういう意味では、上に書いたことはあらゆる組織、さらには社会全体に通ずる話なのかもしれません。 つまり、確かなコミュニケーターたる「橋渡し役」がいるかいないかで、その組織(社会)の在り方がいかようにも変わってしまうということです。

……と、大層なことを書いてしまいましたが、いま一度、私なりにふんどしを締めて掛かります。

(2023年3月11日記)

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