近親交配(インブリーディング)とは何か?(その11)

「近親交配(インブリーディング)とは何か?」と題したものは、6年前の (その1) に始まり、 昨年10月の (その10) まで書きました。今回はその続編です。

そこにも書いたように、「近親交配の度合い」と「血量」は別物です。われわれが俗に言う血量とは一定祖先の遺伝子継承量、つまり「ボリューム」であるのに対し、 近交度合いは、父方と母方から同じ遺伝子を継承する「確率」の概念を要します。つまり、これらを直結させて考えてはいけないということです。

(その10) の最後に書いたように、 例えばウシュバテソーロという個体における遺伝子の総量のうち、ノーザンテーストから継承した遺伝子量(つまり血量)は9.38%とはなるものの、 その近交効果を発現する確率はゼロです。こちら はこの馬の「ネットケイバ」の血統表ですが、その下段の赤枠で囲った箇所の問題点は、 @インクロスしていない祖先をあたかもインクロスしているかのように記載している、Aインクロス表記の箇所に血量も(意義ありのごとく)併記している、ということです。 このあたりの話は「『優駿』における表記がようやく変更に」でも言及しました。

ディープインパクトにおけるサンデーサイレンスの血量は50%です。でも、ディープはサンデーのインブリーディングではありません。 「当たり前じゃないか!」と思いましたか? そうなんですよ。近親交配の話と血量の話は別物なのです。

生物学で近交度合いを表す値は「近交係数」であることは、いままで何度も書いてきました。 この言葉でネット検索すればいくつものサイトが出てきますが、そこには小難しい説明文や数式などが出現し、普段は遺伝学などには縁のないほとんどの方々は 「難しい……」とお手上げ状態となるのでしょう。けれども「遠い祖先までさかのぼる血統表に意義は?」にも書いたように、 遺伝子が蜘蛛の巣状に入り組んだ産物がわれわれ「生き物」の正体であり、近親交配の効果(←プラスの意味もマイナスの意味も含む)を探究する場合、 そこを避けて通ることなどできないのです。

さらに、(その2)でもミッキーロケットを例に説明したように、インクロスする祖先同士が親仔のような場合は、 その近交度合いは「分別」して計算する必要があります(こちら は拙著の当該説明箇所の抜粋)。 しかし、サークル内で目にするインブリーディングの意義に触れる配合理論は、このような視点が抜けているものばかりです。 ミッキーロケットの「ネットケイバ」の血統表は こちら であり、その下段の赤枠で囲ったところですが、 Northern Dancer と Nureyev の血量と血統表上の出現回数が単純に並列されてしまっており、 上記のような配合理論の発信者はこのような単純並列に疑問を抱いていないのです。

特に、サークル内で強い人気を博している血統評論家や、SNSで非常に多くのフォロワーを獲得している血統論者ほど、以上に書いたような誤解や曲解は強い感があります。 これは、このような評論家や論者が生物学的にきちんと「近親交配」を理解していないと同時に、もしも生物学的に正確な言説を発するとなると小難しい内容にもなり、 要するに、難しそうではない言説に一般ファンは集まるということであり、仮に生物学に忠実な評論家がいたとしても、 そんなファンはそんな評論家を敬遠してしまうのでしょう。

昨年上梓した拙著『競馬サイエンス 生物学・遺伝学に基づくサラブレッドの血統入門』の執筆中に、 近交係数に関するサイトをいろいろと検索したのですが、その中で、地方独立行政法人北海道立総合研究機構(以下「道総研」) のサイト中の「近交係数について」と題されたページがヒットしました。 肉牛の配合例をサンプルに近交係数を説明したものであり、それをプリントアウトして自分の頭の中を整理するために加筆したものが こちら です。 細かいことは割愛しますが、私が一番下に「A×Bが抜けてないか?」と書いたように、 この説明には こちら の水色でマークしたルートが見落とされていたのです。つまり、近交係数の算出に誤りがあったのです。 道総研はのちに記述の誤りに気づいたのか、このページは現在は削除されています。

ちなみにその時は、このようなきちんとした機関がこのような誤りをするだろうか? 私自身の見立てが間違っているのだろうか? とも思ってしまいました。 よって、懇意にしている遺伝学の専門家(大学教授)にも確認したのですが、私の見立てが正しいとのお墨付きをもらいました。

近親交配の度合いの解読は、確たる機関でさえこのように誤るほど複雑なのに、遺伝学にもほとんど接していない者たちが、 単純に血量云々でそのリスクや効果を論じてしまっているのが我が競馬サークルの現実です。まだまだ出口は見えませんが、私なりの科学的啓発は続けて参ります。

(2024年8月11日記)

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