「伝える」ということを考える(その4)

今回は、1年半近く前に書いた「「伝える」ということを考える(その3)」の続編です。

拙著『競馬サイエンス 生物学・遺伝学に基づくサラブレッドの血統入門』の冒頭では、こちら のとおり、 遺伝子とは形質(=生体における特徴や性質)のもととなる因子(=情報)、DNAはこれを載せたメディア(=物質)のようなものと想像してみてくださいと書きました。 まずはそこをしっかりと押さえてください。

こちらこちら のサイトにあるとおり、 われわれ人間の個人間におけるDNA上の差異はたったの0.1%しかないとのことです。 つまり99.9%が同じであって、その他の微々たる部分がひとりひとりの違いを創出しているということです。 多少の数値の差はあるかもしれませんが、他の動物も同様と思っていいでしょう。

一方で、「蔓延する誤解」などに、全きょうだいでも遺伝子一致率はほぼ50%と書きました。親子間も50%です。 「99.9%なのに50%とは話が矛盾してるじゃないか!」と思ってくださったら嬉しいです。その説明が今回の本題です。

生体を作り上げる設計図と喩えられる遺伝子。人間同士の遺伝的差異を論ずる際に、 上記のとおりDNA上の全塩基配列(ゲノム)に焦点を当てると99.9%という数字が出現します。 他方、残りの0.1%の部分にひとりひとりの個性を創出する源があり、そこが遺伝子の本質です。

赤の他人同士のAさんとBさんがいたとしましょう。この2人をそれぞれ作り上げるDNA上の全塩基配列(ゲノム)の99.9%はまったく同じです。しかしです。 Aさんのその部分は、その父の太郎さんと母の花子さんからもらったものである一方で、Bさんのその部分は、その父の宏さんと母の和子さんからもらったものです。 つまり、まったく同じでも出所(由来)が違います。AさんとBさんのあいだには「血縁」がないからです。

集団遺伝学において「血縁係数(親縁係数、同祖係数)」というものがあります。 「近親交配(インブリーディング)とは何か?(その12)」で触れた「近交係数」と概念が重複する係数ですが、 要は2つの個体間において、どれだけ同じ祖先から遺伝子をもらっているかを示す数値であり、 AさんとBさんにおける全塩基配列の99.9%がまったく同じであったところで、AさんとBさんの間柄における血縁係数はほぼゼロということなのです。 つまり、この99.9%の部分については、血縁係数に絡めて科学的に論ずる意義は見出せないということです。

その一方で、0.1%の部分に焦点を当てた場合に、全きょうだい同士や親子間のような近親同士の血縁係数の値にこそ大きな意味が含まれてきます。 つまり、上に書いた「遺伝子一致率」とは、そこの部分に焦点を当てて論じる数値なのです。

しかし、遺伝に絡めて血統や配合を論ずる場合、逐一上述のような説明を前段に置いたら話はなかなか始まらず、かえって混乱をきたすでしょう。 これはまさしく「サイエンスコミュニケーション 〜右岸と左岸の橋渡し〜」で書いた話です。 今回書いたようなことを逐一論じては、「余談」に書いたような重箱の隅をつつくことにもなりかねません。 こちら は上記拙著の「はしがき」からですが、ここに書いたように科学者は「とにかく正しいことを伝える」 という発想に陥りがちであるということからも、最善の意思伝達手法は常に探求すべきものでしょう。 そんな自分も、いま書いているこれが、言いたいことをうまく文字にできたものかと思えば、自信が持ちきれず……。

今回この話を書こうと思ったきっかけは、最近私は「蔓延する誤解(その1)」などでも「遺伝子一致率」という言葉を使っていますが、 果たしてこの言葉でよかったのかなとふと思ったのです。「型」の一致と「由来」の一致が言葉上では区別できないからです。 「似て非なる「全きょうだい」」を書いたのは6年半前で、ここでは「遺伝子共有率」という言葉を使っていましたが、 これらの言葉をネットで検索すると確たる棲み分けもなく曖昧であり、今後はどうしようかと迷うところです。 頭の固いA級科学者にかかれば、このあたりの言葉遣いについてはいろいろと言ってきそうでもあり、 それこそ「サイエンスコミュニケーション 〜右岸と左岸の橋渡し〜」に書いた中州にたたずむ気分です。

ちなみに、日本遺伝学会が発行した『遺伝単』という遺伝学用語集には、「遺伝子一致率」や「遺伝子共有率」という言葉はありません。 つまりこれらは、サイエンスコミュニケーションを実践するための噛み砕いた表現だということをご理解いただければ幸いです。

(2025年5月9日記 5月25日加筆修正)

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