牝系インクロス

先日の凱旋門賞はドイツ産馬たる Torquator Tasso が鮮烈な勝利を飾りましたが、この馬の5代血統表は こちら です。 また、今世紀生まれの世界のGI馬を網羅した我が母系樹形図におけるこの馬の近親状況は こちら ですが (違う種牡馬を相手に複数のGI馬を産んだ牝馬は太字)、ご覧のとおり近くには偉大なる名牝 Urban Sea がおり、 そしてこの樹形図の一番下にいる Adlerflug がなんとこの馬の父なのです。 つまり、Torquator Tasso も、その父 Adlerflug も、母系の祖に Anatevka を持つこととなり、ネット上の書き込みを見ていると、 どうも「牝系インクロス」というものに注目が集まっている気配があります。

あくまで私の個人的な見解であることを事前にお断りしておきますが、この Torquator Tasso のような素晴らしい馬の出現と牝系インクロスとはあまり関係がない、 つまり因果関係は稀薄であると考えています。頑固にも映るドイツ生産界の「矜持」の話は「ドイツの血筋」にも書きましたが、 この Torquator Tasso の配合は現地生産者が自国の血を尊重し、それが牝系インクロスとなっただけの結果論だと私は思っています。

遺伝学的にも牝馬のインクロスに特別な意義を見出せないことは「近親交配(インブリーディング)とは何か?(その7)」 で書いたとおりです。しかしそれでもなんとかそこに意義を見出そうとした場合に、「ミトコンドリアの遺伝子」にも書いたように、 ミトコンドリア自体の機能発現は、部外者たる核が持つ遺伝子とミトコンドリア自身が持つ遺伝子の「協働」によるということから、 この Anatevka の牝系固有のミトコンドリア遺伝子と有意義に協働する染色体上の遺伝子をできる限り集めるという理屈なら分かる気もするのですが、 しかしやはりそれはインクロス(インブリーディング)の概念とは全く違います。

上記の話と重複しますが、もしも今後アーモンドアイの交配相手としてシスキンが選ばれた場合(架空血統表は こちら)、 共にその母系の祖にその牝系を目まぐるしく発展させた Best in Show がいることから、その交配から生まれた仔が活躍でもしたなら、 それこそ Best in Show のインクロスのお蔭だと言われてしまいそうですが、 これについても「アーモンドアイの交配相手に思うこと」で触れました。

血統表においてインクロスになった祖先は太字や色付きにされるので、どうしてもそこに目が行きます。 すると、ファンにしても馬主にしても生産者にしても、そこに好ましい意義があるのではないかと時に過度な期待を寄せてしまい、 さらにはこれにつけこむ近親交配奨励理論も当然のごとく出現し、結果として「そこには確かなものが存在するに違いない」……という空気が醸成されてしまうわけです。 「エピファネイアという種牡馬におけるジレンマ(その1)」でも書いたとおり、 「エピファネイアという種牡馬は、近親交配につきまとう『負の作用』にも屈せずに優良産駒を出す素晴らしい種牡馬だ」 というような考えもあって然るべきだと思うのですが、これは「やはり「真実」は面白くない」で書いたラーメン屋の話のごとくです。

このように別な角度から眺めることは、前回の「求められる多面的・多角的な思考力(その2)」 で書いたことそのものでもあることを付記しておきます。

(2021年10月11日記)

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