友情とは?
NHKのBSプレミアムで5月9日に放送の『ヒューマニエンス 40億年のたくらみ』のテーマは「友情」であり、
京都大学前総長で霊長類学者の山極寿一氏がスタジオのゲストとして登場していました。
ちなみに、山極氏のサルや類人猿の話は「失われる遺伝的多様性」に書きましたし、
この話は今週発売の拙著『競馬サイエンス 生物学・遺伝学に基づくサラブレッドの血統入門』の 82 ページでも触れました。
山極氏によれば、「友情」は人間社会を創るために必要不可欠なものとのことであり、人間はいつも親子が一緒にいるわけではない、血縁や子供をつくるという動機以外に、
世の中に果たすべき役割は友情を基につくられているとのことであり、氏が自らが考える「友だち」とは、
「血縁関係以外で持続的で対等な関係を続ける者、そして、自己犠牲を伴っても相手のために何かしてやりたいと思う心がある者」とのことでした。
さらに山極氏によれば、ゴリラは安定した群れをつくるが、一旦群れを離れれば関係は切れてしまうとのことで、人間のような友情はないとのこと。
一方で、人間はそのような群れ(=家族)の単位だけで生きることはありえなく、
各人の行き来が自由かつ複雑化した「社会」を維持するために人が発明したのが「友情」とのことです。
ところで、MCの織田裕二さんが山極氏に「極端なことを言っちゃうと、AI と友だちになっちゃダメですか?」と尋ねると、
氏は「ありうると思いますよ。AI というものは人間のふりをすることが上手いですから」と一旦答えたのですが、ここにパラドックス(逆説)があるとのことであり、
「友というのは、考えてもない意外なことを言ってくれるからこそ友なんですよ」とのことで、これこそ私は「親友」における必要不可欠なものと考えています。
以前 SNS で、日本人は「何が語られているか?」より「誰が言っているか?」を重視する傾向があるというコメントを見かけました。
「不寛容の世情に思うこと」
に書いたような、自分が慕っている論者にネガティブなことを言うなと言ってきた輩など、その行き着いた果てでしょう。
このようなことから思うのは、物事の真偽について、その中身を吟味せず、それを発信した人に対する事前の自己評価で選別していないかということです。
つまり、その人の言っていることは全て正しいと信じ込んでいないかということです。
番組中で山極氏が言っていた「友というのは自分と同じであってはいけない。常に新しい気づきをもたらしてくれる人でなければいけない」という部分には含蓄があります。
「あらためて吉沢譲治さんのこと」に書いたとおり、私と吉沢さんとの付き合いは、
失礼ながらも、強い馬の出現を安直に突然変異に帰結してしまう言説に異論を呈したことに始まるわけで、そんなことがあったからこそ懇意な仲になれたわけです。
また、吉沢さん曰く、師弟関係にあった山野浩一さんとの後半は喧嘩ばかりの日々であり、結果として一定の距離を置いたとのことでした。
これは或る意味で、そんな関係がお互いを高め合っていたのではないかとも思ってしまったのですが。
ところで、「山野浩一さんの『血統理念のルネッサンス』を読んで」(その1)、(その2)にも書いたとおり、
山野さんの言説には既存の生物学から逸脱したオーバーランもありました。
しかし、競馬界の巨匠として長年君臨した山野さんに対して公にネガティブな言葉を発することは、ムラ社会とも揶揄される競馬界の掟(おきて)に反します。
つまり、上記の私のコラムは、この社会の掟破りでもあるわけです。
山野さんは、競馬サークル内の学術団体たる「日本ウマ科学会」の会誌の編集委員でもありました。
ふと思うのです。上記コラムに書いたような山野さんの言説を、学会の重鎮はどう思っていたのかと。
つまり、学会内での横のコミュニケーションは、敢えて言葉を変えれば「友情」は、きちんとあったのかとさえ思ってしまうのです。
もし、学会の重鎮科学者が山野さんにきちんとしたアドバイスをしていたとして、それでも依然として山野さんはそのスタンスを変えなかったということならば、
よっぽど山野さんは頑固者だったということになってしまいます。
私自身の言説については、毎度うなずいてくださる方々がいることは心強いですし、非常に嬉しいことです。
しかし、そんな私に対しても、常に「こいつの言っていることは本当か?」という視点を持っていただきたいのです。
気づかずに誤ったことを言っているかもしれません。その場合は随時、真摯に訂正する必要があると思っていますし、そのような修正や訂正を続けなければ、
自分自身の成長がないのです。これは「異論と議論のススメ」や
「科学における朝令暮改」に書いたことでもあります。
そして、そのように相互に継続的に高め合うことが、「友情」のベースでもあるとあらためて思ったところです。
(2023年5月22日記)
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