インフルエンサーの言説
サラブレッドにおける遺伝的多様性が低下していることは昨今、科学的に繰り返し警鐘が発せられており、これに関する論文は以下の中で紹介しました。
遺伝的多様性の低下に対する米国の方策(その2)
バイアスのかかった遺伝子プール(その2)
バイアスのかかった遺伝子プール(その5)
本件に関して、過日見たSNSでは或る人(以下「Y氏」)が、世界の血統地図を塗り替えたような過去の名馬の9代血統表をいくつも持ち出し、
近年のサラブレッドの血統表と見比べながら、その多様性はかえって高まっているというような発言をしていました。
もしその主張が本当であれば、上記に紹介した各論文が述べていることは誤りということになります。
そのY氏はそのSNSに、これら各馬の血統表に加えて、この血統表に何度も名前が現れるインクロスする祖先(以下「共通祖先」)を抽出してリスト化したものを添付しており、
あらためて私はこれらをじっくりと読み込んでみました。すると、わかったのです。Y氏は配合における近交度合い(近交係数)の算出法を理解されていないのです。
近交度合い(近交係数)の概要および算出法は、「近親交配(インブリーディング)とは何か?」
の (その1) (その2) や「我が日本の講ずべき方策」で説明しましたが、
Y氏は血統表に出現する共通祖先をピックアップし、単にその共通祖先の種類と血統表上の出現回数をカウントし、それをベースに持論を展開してしまっているのです。
その出現回数にしても、何代前に出現するかによって近交係数はまったく変わってきますが、その点も一切考慮されていません。
さらに言えば、「バイアスのかかった遺伝子プール(その4)」に書いたように、全きょうだいの遺伝子一致率はほぼ50%です。
しかしY氏は、例えば Pharos と Fairway という全きょうだいを、一卵性双生児かクローンかのごとく「同一馬」として上記リストに記載し、
その数をカウントしてしまっているのです。
Y氏は過去に膨大な数の馬の血統表を見てきたようですが、
「今世紀の馬の9代内における共通祖先の種類は前世紀の馬と比べて増加していると感じる。よって遺伝的多様性は低下ではなく増加しているように思う」
という趣旨のコメントを最後に残していました。
えっ?? もしも、本当にもしもですよ、Y氏は血統表中に出現する共通祖先の種類が増えていることが遺伝的多様性の増加だと思っているのであれば、
真逆です。究極の誤解です。こちら は、拙著『競馬サイエンス 生物学・遺伝学に基づくサラブレッドの血統入門』の
「第3章 失われる遺伝的多様性」の中の「稀薄化するリスク感覚」と題した小見出しで始まる箇所からの抜粋です。
ここにも書いたとおり、インクロスする「共通祖先」が増えることは近交係数の上昇の要因となり、その挙句の果てが遺伝的多様性の低下です。
サークル内の血統論者の近親交配(インブリーディング)に関する言説は数多く見てきましたが、残念ながら上記の指摘を理解いただきたいと思うことはしばしばです。
つまりそれだけサークル内で根が深いということです。
競馬情報サイトに連載を持つ論者やSNSで多くのフォロワーを持つ論者は、業界内の思考に少なからぬ影響を及ぼすインフルエンサーですが、
「元調教師の言説」の後段に書いたように、われわれには、
インフルエンサーの言説の真偽を見極める能力たるリテラシーがますます求められているわけです。
そして、とりもなおさず私自身もインフルエンサーのひとりでもあるわけですから、自らの発言にはしっかりと責任を持たねばと思うのです。
(2024年6月26日記)
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