異系の血

個々のサラブレッドは、血統書上でその父の父の父……とさかのぼると、1700年頃生まれの Darley Arabian(ダーレーアラビアン)、 1724年頃生まれの Godolphin Arabian [Godolphin Barb](ゴドルフィンアラビアン [ゴドルフィンバルブ])、 1680年頃生まれの Byerley Turk(バイアリーターク)のいずれかにたどり着きます。俗に「三大始祖」と呼ばれているものです。

しかし、その現勢力は大きく偏り、現世のサラブレッドのほぼ全ての父祖はダーレーアラビアンだということはご存じのとおりです。 そんな中、本当に稀有となってしまったバイアリータークを父祖とする馬が種牡馬として輸入されるというニュースが入ってきました。 Pearl Secret(パールシークレット) という馬です。 『レーシングポスト』でも こちら のとおり記事になっています。

ところで、この馬が輸入されることに関してSNS等でいくつものコメントを見かけましたが、まず基本的な話を整理する必要があると思いました。 バイアリーターク系の種牡馬の導入により、遺伝的多様性低下に起因するところの「近交弱勢」を避けられるというような言説がいくつかあったのですが、 これはまったくの誤解です(近交弱勢については 前回のコラム を参照ください)。 バイアリーターク系を残存させる話と近交弱勢を避ける話は別々の次元の話で、前者は博物学に類するものであり、後者はまさしく生物学です。

バイアリーターク系の種牡馬が、ディープインパクトやキングカメハメハという血筋を、欧州であれば Galileo といった人気の血筋を持った牝馬と交配し、 牡馬が生まれたとしましょう。その牡馬の父系も当然にバイアリーターク系ですが、この馬が素晴らしい競走成績を残して種牡馬となった場合、 当然にまたありふれた人気の血筋の牝馬が交配相手としてたくさん集まってくるかもしれず、するともはや近交弱勢回避以前の話となるわけです。

母性遺伝をするミトコンドリアのDNAですが、「ミトコンドリア・イヴ」という言葉を聞いたことがありますか?  1987年に分子生物学の権威であったカリフォルニア大学の教授らが発表した論文は、世界各地の現代人のミトコンドリアDNAを解析すると、 20万年前にアフリカにいた一人の女性が母系共通祖先だったという内容でした。つまり、世界中の人はみな同一母系だということですが、 そのために人類は遺伝的多様性が低く近交弱勢に悩んでいる(いた)などとはどの生物学者の口からも出ないことと、広い意味で同じです。

そもそも「バイアリータークの血」に意義があるのなら、 母の父の系統がまさしくそれであるオルフェーヴルやゴールドシップが既にいるではないかということにもなるわけです。 それでもあくまで「父系」だと言う声があるのでしょうが、馬づくりにおいて父系に意義は見出せない旨は「牝馬はY染色体を持たない」 に書きました。

それでも仮に、バイアリータークの父系を残すことに意義があるとしましょう。 けれども、「不都合な真実」で紹介したような論文が出てきているのが実際なのです。 この論文によれば、St. Simon(セントサイモン)の父系はバイアリーターク系かもしれず、つまりシンザンもそうかもしれないのです。 今年いっぱいで種牡馬を引退した Ribot(リボー)系のデビッドジュニアもその1頭ということになり、バイアリーターク系の維持というものを貫くのであれば、 この馬の血をもう少し大切にしておくべきだったということにもなるのかもしれません。

今月にJAIRS(ジャパン・スタッドブック・インターナショナル)が発行した『図説 英国競馬入門』という書物には、 三大始祖の話の箇所に こちら のとおり「と考えられている」「といわれている」という言い回しがあり、 断言を避けたこのような表現は目新しいことから、ようやく競馬サークルも三大始祖の血統記録の怪しさを認め始めたのかなと思ったところです。

以上に書き記したようなことから、「バイアリータークの血」というものには、残念ながら博物学的にはほぼ意味はなく、配合検討における生物学的な意義もないということです。

その一方で、私はパールシークレットに対してはかなりの期待を抱いています。 5代血統表 を眺めてみれば、 普段見慣れない、つまりブランド化していない祖先の名が父方および母方に散りばめられています。 よって、まさしくそこにこそ、近交弱勢を回避すべく健全なアウトブリーディングを目指す有意義な稀少価値を見出せるような気がするのです。 そしてこのような血には「隠し味のような血の意義」に書いたような期待も抱いてしまうわけです。 これは、こちらこちらこちら に書いたクワイトファインに寄せる我が想いと相通じます。本コラムの前段はネガティブな話となってしまいましたが、 そんなことは、パールシークレットに寄せる期待とはまったくの別の話であることをご理解いただければ嬉しいです。

欧州でたいした産駒を出していないので成功は見込めないというような声も見かけましたが、 欧州と日本とでは競馬の質が違うことからも、こればかりは蓋を開けてみなければわかりません。 交配相手として集められる牝馬の質にも当然に左右され、現時点で成否を断定的に述べるそのような声には非常な違和感を覚えます。 結果論で全ての良し悪しを言われてしまいがちなこの世界ですので、仮にパールシークレットの産駒が素晴らしい成績を残したなら、 これを導入した生産者は絶賛されるのでしょうし、もしもその産駒が鳴かず飛ばずであれば、逆の声を浴びてしまうのでしょう。 これは「たまたま」に書いたことにも関連します。

パールシークレットの導入に英断を下した生産者には、競馬サークルに広く深く浸透する偏ったブランド嗜好に立ち向かう確かな気概を感じますし、大いに感動しました。 引き続き応援して参ります。

(2024年12月14日記)

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