人災
先週末の熱海の土石流災害は盛り土の不手際、つまり「人災」の様相を呈してきました。
しかしです、この盛り土工事のみならず、近年の著しい気候変動こそがわれわれ人間がもたらした人災であることに疑いの余地がなくなりつつありませんか?
3年前の西日本豪雨、昨年の熊本豪雨のほかにも、ここ数年の間にどれだけの水害があったのでしょうか?
気候変動に基づくであろう集中豪雨がもたらす洪水や土砂崩れは、地震や津波、火山の噴火のような人間の行為とは無縁である「天災」とは全く異なります。
よって、残念ながら、地球温暖化問題などに目もくれない経済優先のマインドが人類を支配し続けるようであれば、
上述のような水害が増え続けることは容易に想像できます。起こってしまったならば、あとには戻れない……。
しかし残念ながら愚かなわれわれは、過ぎてしまってからそのことに気づくわけなのですが、ふと、我が競馬サークルにおいてはどうなのでしょうか?
本コラム欄では「近親交配(インブリーディング)とは何か?」と題したものは
その1、その2、その3、その4、
その5、その6、その7、その8
と書いてきました。
先日読んだ或る雑誌の競馬特集号には独自の配合理論を模索する生産者を取材した記事があったのですが、その中には全く意味が理解できない言説があり、
思うに、インブリーディングの科学的メカニズムを知らなければ、その長短所を理解できないということのみならず、
新たな配合の検討においても全くの非科学的思考がベースとなってしまうわけです。
近親交配の過度の実践の結果たる遺伝的多様性の低下を理由にアメリカでは種牡馬の種付頭数制限策が施行されます。
こちら にも書いたとおり、この施策を不服とし提訴した大手ブリーダーが「科学的証拠がない」というようなことを強く述べているようですが、
「証拠」などというコメントを見る限り、原告がそのメカニズムを理解しているかは甚だ疑問です。そんな証拠が明示された時点で生産界は後戻りが不能な「The End」です。
あらためて問わせて下さい。
インブリーディングとは、父方と母方から同一の「劣性(潜性)遺伝子」をもらうことによって、或る効果を期待する行為であることをご存知でしょうか?
つまり こちら で書いたようにラッキーライラックの場合は、ノーザンテーストおよび Mr. Prospector のインブリディーングではないことはご存知でしょうか?
また、インブリーディングの度合いについてですが、3×4が2つ入ると3×3と近似の近交係数となることはご存知でしょうか?
もしもご存知でないとして、今後の生産界全体における遺伝子構成が不健全な方向にバイアスがかかっていくかもしれないという不安はないですか?
もし不安がない場合、その根拠はなんですか? 3×3にしたって一定数の良い馬は出てくるからですか?
生産界が遺伝的多様性低下に起因する「近交弱勢」の状態となり総合的な受胎率低下や流産率上昇、さらには健常馬の割合が漸減したとして、
迅速にそれに気づけると思いますか?
「オレの体のことはオレが一番わかってる!」と言い放つ頑固オヤジが こちら
に書いたようなサイレントキラーで手遅れになる例を身近に見たことはないですか?
そして、以上のようなことを看過し続けることは、後戻りができなくなる苦境に導くという競馬界における立派な「人災」だとは思いませんか?
なお、米国では上述の策が施行される一方で、日本が何らかの策を講じるには、まずは一定の権限を付与した組織をつくらねばなりませんが、
このような組織は、こちら で書いたような利害関係者や御用学者を完全に排除した有識者で構成されることが絶対条件です。
明後日から開催されるセレクトセール。昨年 こちら では、
サンデーサイレンスの曽孫たるエピファネイアとモーリスの産駒はサンデーのインクロス馬ばかりであると私なりの警告を発しましたが、
今年の上場馬も相変わらず以下の状況です。
エピファネイア産駒(上場数 30 のうち)
3×4: 19 (63%)
4×4: 3 (10%)
22 (73%)
モーリス産駒(上場数 23 のうち)
3×4: 15 (65%)
4×4: 2 (9%)
4x(4x5): 1 (4%)
18 (78%)
以下は今年の日本ダービーの発走前、フジテレビ実況の福原アナウンサーの言葉です。
「日本競馬を変えた馬サンデーサイレンス。北海道で種牡馬生活を始めたのはちょうど30年前です。
去年までにダービーではその子供や孫17頭が先頭でゴールを駆け抜けました。
第88回日本ダービーは、出走馬全てにサンデーサイレンスの血が。
とりわけ、皐月賞とダービーの2冠を狙う1番人気エフフォーリアは、父と母両方の血統にサンデーサイレンスの名が入っています」
この福原アナの言葉から危機感を抱いたのは私だけではないと信じております。
(2021年7月10日記)
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